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鎌田教授の講演録が『点から線へ』(発行:西田幾多郎記念哲学館)に掲載されました

 鎌田東二教授の講演録「『ほんとうのさいわひ』をさがして ー宮沢賢治と『銀河鉄道の夜』を中心にー」が、石川県の西田幾多郎記念哲学館が発行する雑誌『点から線へ』第64号(2015年3月)に掲載されました。


 同館にて2012年11月におこなわれた「幸福について考える」講演会で、鎌田教授は西田幾多郎と同時代を生きた宮沢賢治の足跡をたどり、その作品と思想を紐解きながら、西田哲学との共通点について考察しました。


tenkara64.jpg「『ほんとうのさいわひ』をさがして ー宮沢賢治と『銀河鉄道の夜』を中心にー」
鎌田東二 京都大学こころの未来研究センター教授・NPO法人東京自由大学理事長


 今日は、宮沢賢治の「『ほんとうのさいわい』をさがして」というテーマの講演です。西田幾多郎と宮沢賢治は一度も会ったことはありません。西田幾多郎が京都大学の助教授として赴任したのは一九一〇年、明治四十三年八月三十一日です。『善の研究』を出版したのが翌年の明治四十四年一月です。ですから、明治四十三年というのは、西田幾多郎にとって、彼の人生の前半と後半を大きく切り替えていくひとつの節目をなすエポックメイキングな年であります。もちろん、これ以前も学習院などで教鞭を取ってはいますが、哲学者として本格的に「黒板を後にして立った」のはこの一九一〇年からです。この年に、宮沢賢治は十四歳の中学生です。彼は花巻に生まれ育ち、石川啄木も学んだ盛岡中学に進みました。そして短歌を詠み始めました。西田幾多郎との年齢差は二十六歳です。生涯一度も面識がなかったふたりではありますが、同じ時代の空気を吸っていたとうことが言えます。今日は、宮沢賢治に焦点を当てながら、一九一〇年、西田さんが京都に来たころ、彼にとって節目の年に、宮沢賢治は何を感じ取っていたのか、それが『銀河鉄道の夜』という作品にどう結実していったのか、そのあたりのことを中心に話をしてみたいと思います。


(講演録より)


石川県 西田幾多郎記念哲学館ウェブサイト