(イグ)ノーベル賞を取るということ

  • 2008-11-19 (水)

この秋、私にとってちょっとしたニュースがありました。私が専門とする「進化心理学」という領域から、(イグ)ノーベル賞が出たのです。*1

「排卵周期がラップダンサーのチップに与える効果」というタイトルの研究で、米国ニューメキシコ大学のGeoffrey Millerさん、Joshua Tyburさん、Brent Jordanさんの共同研究です。*2

”ラップダンサーってなに??なんの研究なの??”

私もそう思いました。そしてそれは全て論文に書かれていました。ご紹介しましょう。

研究には(他のイグノーベル賞受賞研究と同じく)いたって真面目な目的があります。

他の動物と異なり、人間の女性には発情期がないと言われています。例えばチンパンジーでは、妊娠可能性の高い性周期にあるメスは、お尻が真っ赤にふくらんで、ハッキリとそれと分かります。

でも人間の女性にはそうした、妊娠可能性を示すハッキリした目印はないですよね。そこから「ヒトのメスは常に発情している」とか、逆に「ヒトは発情期を失ったサルなのだ」といったことを言う人もいるようです。でもそれは本当なのか。それがこの研究の目的です。

この研究の前にもいくつかの研究があって、妊娠可能時期の方が誘惑的な服を着るようになるとか、パートナーからの浮気チェックが厳しくなるとかいったことが言われています。つまり、人間にも発情期があるのかもしれないということですね。

今回Millerさんたちは、そうした発情期の有無について。「ラップダンサー(professional lap dancers)」の方々を対象に調査したわけです。

その”ラップダンサー”ってなに?そう思いませんか?

私もそう思いました。そして論文を読んでみて、なぜこの論文がイグノーベル賞を受賞したのか、その理由がわかった気がしました。

ラップダンサーのラップ(lap)とは「膝」です。ノートパソコンのことを「ラップトップ」と呼ぶことがありますが、あの”ラップ”と同じです。つまりラップダンサーとは、ラップトップPCと同じ位置でダンスをする仕事です。そしてラップダンサーは女性で、膝とチップを提供するのは男性です。

Millerさんたち研究グループは、ラップダンサーたちにお願いして、生理周期とチップの金額を、そのために特別に用意したWebサイトを通じて日々報告してもらったのです。全部で18人のラップダンサーの協力を得て、都合296シフト、回数にして約5300回分のラップダンスのデータを集めたと、論文には誇らしげに書かれています。

結果は、ラップダンサーが受け取るチップの金額は、彼女らの排卵周期に影響を受けていた(妊娠可能期ほど、ラップダンサーは多くのチップを稼いでいた)というものでした。妊娠可能期とそうでない時期で、1回のシフトあたり平均100ドルほどの差があるそうです。面白いことに、こうした排卵周期の影響について、当のラップダンサーたちは気がついていなかったそうです。

ただしこの研究結果から「人間の女性にも発情期がある!」と断言することはできません。

なぜなら、妊娠可能期にあるラップダンサーが”発情”して、より誘惑的に振る舞っているとは限らないからです。ひょっとするとラップダンサーはそのことを隠そうとしているのに、男性客が勝手に気がついてしまうだけかもしれないのです。ゆえに、言えるのは「妊娠可能期にあるラップダンサーは、より多くのチップを得ている」。これだけです。

だから、研究内容だけだったら、この論文はイグノーベル賞を取れなかったかも知れません。「なるほどね」「そうなんだ」。それで終わりだったかもしれません。この論文の面白いところは、実は、研究内容だけでなく、その論文の書き方そのものにもあるのです。

例えばどんな?ヒライシが一番うけてしまったのは、次の文章でした。

「研究者の方々は紳士クラブの文化にあまりお詳しくないでしょうから、なぜここでの調査が、人間女性の発情期が現実世界での魅力度に与える影響について研究するのにふさわしいか、いくばくかの背景知識を説明するのがよいでしょう。」

"Because academics may be unfamiliar with the gentleman's club subculture, some background may be helpful to understand why this is an ideal setting for investigating real-world attractiveness effects of human female estrus."

紳士クラブというのは、ラップダンサーが働くお店の一般名称です。そしてこの文章に続き、紳士クラブのようす(薄暗くて煙っぽく、やかましい)、客の振るまい(店に入るとまずATMで20ドル札の束を引き出す)、そしてダンサーの衣装やダンスの仕方などが延々と説明されるのです。

確かに、論文を読むのは私のような「紳士クラブの文化に疎い(外国人の)研究者」かも知れないわけですし、実際、この「背景知識」は、研究を理解する上で役立つものではありました。例えば「店内が薄暗い」という情報からは、排卵周期による肌の状態の変化といった微妙な違いは、チップに影響していないかな、と推測できます。「衣装はいつも同じ」という情報からは、妊娠可能期のラップダンサーが特に扇情的な衣装を身につけるわけではないことが分かります。

ですから、こうした詳細な説明をすることは、サイエンスとして至極まっとうなことなのです。逆にこれらの説明がなければ、科学論文としては不十分と言わざるをえないでしょう。*3

だがしかし。

「メイド喫茶」で何かを調査した研究があったとして。それがどこかの大まじめな専門雑誌に掲載されたとして。その論文のかなりの部分(ざっと見て全体の1割ほど)が「メイド喫茶文化」の詳細な説明(衣装とか客層とかサービス内容とか云々)に費やされていたとしたら...。

大真面目に「科学」をやろうとすればするほど滑稽になる。悲劇と喜劇は紙一重と言いますが、サイエンスとギャグも紙一重なのかもしれない...。そんなことを思わせる論文なのです。

「イグノーベル賞は、人々をまず笑わせ、それから考えさせる業績を表彰するのだ "The Ig Nobel Prizes honor achievements that first make people laugh, and then make them think"」と、賞を出している団体のWebサイトにはあります。実は密かにイグノーベル賞を狙い、日々アイディアを練っているヒライシとしては、実に考えさせられる論文でした。


「こころ学」、早くも脱線気味ですがヒライシが担当しました。今後ともどうぞごひいきに。


Ovulatory cycle effects on tip earnings by lap dancers: economic evidence for human estrus?(排卵周期がラップダンサーのチップに与える効果:人間の発情期にかんする経済学的証拠?)
Miller, G., Tybur, J. M., & Jordan, B. D. (2007).
Evolution and Human Behavior, 28(6), 375-381.
doi: 10.1016/j.evolhumbehav.2007.06.002.


*1 Millerさんたちが受賞したのは「イグノーベル経済学賞」です。なんで心理学の研究が経済学賞?実は心理学と経済学の関係は意外と深いのです。2002年には経済学と心理学を結びつけた功績で、Daniel Kahneman博士とVernon Smith博士が、本家のノーベル経済学賞(アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン銀行賞)を受賞しています。この件については、いずれまた。

*2 Millerさんは”Mating Mind”という面白い本も書かれています。長谷川眞理子先生による邦訳が「恋人選びの心」として出版されています。

*3 ただし「客が店内のATMで20ドル札の束を下ろす」という情報が何の役に立つのかは、今ひとつ判然としないのも事実ではあります。

Comments:3

Ryo 2008-11-21 (金) 13:22

男性は女性と違って性周期がないので、もちろんこの研究のように、時期によって性的な魅力が変化するということはないと思います。
でも男性だって、時と場合により性的な魅力度が大きく変化しますよね。
たとえば、競技大会でよい成績を収めたり、大きな賞を取ったり、困難な仕事を達成したときでしょうか。
そういう場面における、内分泌物質の体内濃度と性的な魅力度の関係など気になるところです。

いずれにせよ、同じ人間であるはずの男性と女性の差異を、生物学的な観点から見つめなおすというのは大切なことですね。

さいとう 2008-12-02 (火) 17:58

この研究イグノーベル賞とったんですか。
知らなかったです。
たしかにウケました(笑)

Winner effectでテストステロンレベルが上がるらしいですが、それを魅力にまでつなげている研究ってあるんでしょうか?

Kai 2008-12-03 (水) 11:30

Winner effectというのは、ゲームなどの勝者でテストステロンレベルが上昇することですね。

ざっと検索してみたら”Male attractiveness covaries with fighting ability but not with prior fight outcome in house crickets”なんて論文タイトルが引っかかりました。よく見ないで「クリケットの選手で、成績と魅力度を調べた研究があるのか!」と感動してしまい、よく見てみたら「クリケット=コオロギ」での研究でした...。いや、それでも十分面白いのですが。

ヒトでは知らないですねぇ。これもやれたら面白そうなテーマです。(._.) φ

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