- 2008-12-28 (日)
皆さんは落書きのない場所と落書きだらけの場所のどちらで、捨てる場所に困ったゴミをついポイ捨てしてしまいますか。
また、違法駐車がまったくない道路と何台かが違法駐車している道路のどちらで、横断禁止の標識を無視して通りを横切ってしまうでしょうか。
1990年代中盤、落書きや器物破損、ポイ捨てといった軽犯罪の多発に頭を悩ませていたニューヨーク市は、「生活の質キャンペーン(Quality of Life Campaign)」という政策を実施しました。
この政策は、街なかの落書きを消し、通りをきれいに清掃し、治安の悪化を示す様々なものを除去するというものでした。
この政策は非常にうまくいき、ニューヨーク市の軽犯罪数は急激に減少しました。
実はこの政策の裏には「割れ窓理論(Broken Windows Theory)」という心理学の理論があります。
この「割れ窓理論」とは、ちょっとした治安の乱れや軽い犯罪の放置が、他の犯罪の発生を促すという考えを理論化したものです。
逆に言うと、ちょっとした治安の乱れや軽い犯罪を早い段階で抑えれば、さらなる犯罪の発生を防ぐことができるという考えです。
さてこの「割れ窓理論」ですが、これを基にすでに様々な国で治安対策が行われているにも関わらず、実は本当にこの理論が正しいのか今まできちんと検証されていませんでした。
「割れ窓理論」のように非常に有名な心理学の理論が、きちんと実証されていなかったとは驚きですが、多くの人が当たり前・常識と思っている心理学の理論が嘘である、あるいはまだよく分かっていないという事例は少ながらず存在します。
話が少しそれますが、こういった問題に興味のある方は「オオカミ少女はいなかった-心理学の神話をめぐる冒険-(鈴木光太郎著、新曜社、2008年)」を読まれることをお勧めします。
話を元に戻して「割れ窓理論」についてですが、先日ついにこの理論を実証する研究が発表されました。
「割れ窓理論」の主張は「ある特定の秩序の乱れが他の秩序の乱れを誘発する」というものですが、オランダのフローニンゲン大学の研究チームは、街なかの駐輪場を舞台に、たまたまそこに現れた一般市民を実験参加者として、この仮説の検証を試みました。
この実験には2つの条件があります。
駐輪場は建物に沿って設けられているのですが、その建物の壁には「落書き禁止」の標識が掲げられています。
1つ目の条件では落書きは一切なく、もう1つの条件では、禁止の表示があるにも関わらずいくつかの落書きが建物の壁に描かれていました。
つまりこの実験は、秩序が保たれている状況とちょっとした治安の乱れがある状況を、街なかに再現したわけです。
さて、この駐輪場の利用者はここに自転車を止めた後、それぞれ目的の場所に行くわけですが、持ち主がいない間、実験者は自転車のハンドルの部分に、架空のスポーツショップの広告を輪ゴムで取り付けました。
この広告は自転車の持ち主にとってはゴミ以外の何物でもありません。
そのため駐輪場に戻ってきた自転車の持ち主は、その広告を持ち帰るか、その場でポイ捨てするかのどちらかを行うことになります(駐輪場にはゴミ箱は設置されていませんでした)。
「割れ窓理論」に照らし合わせて考えると、落書きのある条件で自分の自転車にほぼゴミである広告を見つけた駐輪場の利用者は、落書きのない条件の利用者と比べて広告をポイ捨てする確率が高まることになります。
果たしてこの実験はどのような結果となったのでしょうか。
結果は理論が予測する通り、「落書き無し条件」では33%、「有り条件」では69%の人々が、ほぼゴミといってもよい広告をポイ捨てするというものになりました。
なにか一つでも治安の乱れ(この実験の場合は「落書き」)があれば、他のちょっとした犯罪(この場合「ゴミのポイ捨て」)が誘発されてしまうという「割れ窓理論」の正しさを支持する結果と言えます。
この研究チームは、「駐輪場実験」以外にも5つの似たような状況において「割れ窓理論」の検証を行い、どの実験においてもこの理論の正しさを支持する結果を得ました。
今まで実ははっきりとした検証が行われていなかった「割れ窓理論」ですが、どうやら正しいものと考えてよさそうです。
また、世界各地の様々な自治体が過去に行ってきた「割れ窓理論」を基にした治安維持対策も、政策的に正解だったようです。
しっかり検証されていない心理学の理論が政策に用いられてしまうのは少し恐い気がしますが、政治は科学の成果をのんびり待ってはくれないということなのかもしれません。
少なくとも一人の心理学者である私としては、有名な理論と言えどもきちんと検証されているのか確認しなければならないという感想を持った論文でした。
また、街なかの施設でそこにたまたま居合わせた一般人を対象に実験を行うのは、実はなかなか大変なことなのですが、この研究チームはよくこの手間のかかる実験をやれたなあと感心もしました。
今回は田村が担当しました。
この記事の元となった論文は以下の通りです。
次回をお楽しみに!
The Spreading of Disorder.
(無秩序の広がり)
Keizer, K., Lindenberg, S., & Steg, L. (2008). Science, 322, 1681-1685.
DOI: 10.1126/science.1161405
(雑誌へのリンク)
Science
http://www.sciencemag.org/
- Illustration by Shinya Yamamoto.