- 2009-03-02 (月)
ある日あなたが教室に入ると、真っ黒のゴミ袋を頭から被った男が後ろの方の席に座っている。見えるのは裸足の足先だけ。ところが教師は、何も言わずに淡々と授業を進める。ゴミ袋男は月、水、金の2限にやってきて、クラスの一番後ろで静かに授業を受ける。そんなことが数週間にわたって続く。
あなたはどんな気持ちになるでしょうか?
実際に、そのような「実験」をした教師がアメリカにいたそうです。そして、学生たちのゴミ袋男への態度は、敵意から好奇心へと変化し、最後には友情が芽生えたそうです。
昨年末に亡くなったZajonc(ザイアンス)の代表的な論文「単純接触が態度に与える効果」(Attitudinal Effects of Mere Exposure)は、そんなエピソードの紹介から始まります。
ザイアンスはこのエピソードから、モノや人を繰り返し目にするだけで(単純接触:mere exposure)、そのモノや人への態度が好意的になるのではないか、と言います。
乱暴に言えば「たくさん目にしたものを、好きになる」。逆にいえば「とにかくたくさん姿を見せれば、好きになってもらえる」と言っているようなものです。「そんなに人生楽じゃない...」と思う方、多くありませんか?「そんなに楽だったら、あの人にも好きになってもらえたはずだ...」。
そこからザイアンスの格闘がはじまります。本当に単純接触だけで好意が得られるのか、科学的に明らかにしよう。1968年に発表された彼の論文は、その格闘の記録とも言えるものです。長く充実した論文ですが、要点をしぼって紹介してみましょう。
ゴミ袋男のエピソードを考えてみましょう。このエピソードから、本当に「単純接触」だけで好意が生まれたと言えるでしょうか?
ひょっとしたら学生たちは、ゴミ袋男と少しずつ話をするようになって、それで友情が芽生えたのかもしれません。誰かが消しゴムを落としたときに、ゴミ袋男がサッと拾って、それでみんなの態度がグッと変わったのかもしれません。単純接触を超えた"こころの交流"が、学生とゴミ袋男のあいだにあった可能性が否定できないのです。
「ただ目にすること」の効果をはっきりとさせるためには、"こころの交流"など無関係な、無味乾燥なモノへの態度を研究しなければならない。そこがザイアンスの研究をスタート地点でした。
ザイアンスが目に付けたのは「単語」です。
良い意味をもつ単語は、より多く使われる。ザイアンスは、そういう研究を紹介します。例えば1944年の英単語の使用回数調査によると、
clean 781回 dirty 221回
love 5129回 hate 756回
good 5122回 bad 1001回
となっています。良い意味を持つ単語(左側の単語)の方が、多く使われていることが分かります。面白いことに、どっちが好ましいか微妙な反意語のペアだと、使用回数の差も小さくなります。たとえば、
play 2606回 work 2720回
inside 656回 outside 921回
husband 1788回 wife 1668回
でもこのデータからは、二通りの考え方ができます。
1)人々は、たくさん目にした単語を、好きになる。
たとえば"good"という単語を目にすることが多いので、人々は"good"という単語を好きになり、その結果、"good"は良い意味を持つようになった。単純接触の効果があるということです。
2)人々は、良い意味をもつ単語を、たくさん使う。
"good"という単語は良い意味を持つので、人々はこの単語が好きで、それでたくさん使うようになる。単純接触の効果はないということです。
つまり「単語がたくさん使われる」ことと「単語が良い意味を持つ」こと、どっちが原因でどっちが結果なのかが分からないのです。心理学者はこういうときに「それって、相関を示しているだけで、因果までは分からないよね」なんて言い方をします。
因果関係をはっきりさせなければならない。それでザイアンスは実験をしました。
彼は、72人のアメリカ人の実験参加者たちにカードに書かれたトルコ語の単語(例えば"IKTITAF")を読み上げるように求めました。参加者たちは、トルコ語をまったく知らない人たちです。
ここで一つトリックがありました。ある参加者は"IKTITAF"と5回読み上げ、別の参加者は25回、また別の参加者は10回、"IKTITAF"と読み上げるように仕組まれていたのです。
もしも「たくさん目にしたものを好きになる」ならば、"IKTITAF"と25回読み上げた人の方が、5回しか読み上げなかった人よりも、「IKTITAFは良い意味の単語だ」と思うのではないか。これが実験の目的です。
結果は、ザイアンスの思った通りでした。"IKTITAF"と何回も読み上げた参加者ほど、IKTITAFは良い意味だろうと答えたのです(なんども"IKTITAF"と入力しているうちに、ヒライシも、この単語は良い意味ではないかという気がしてきました)。
やった!やっぱり単純接触で、単語を好きになるんだ!
ザイオンスがそう喜び勇んだかというと、そんなことはないのです。ここからがサイエンスとしての心理学の真骨頂です。
ザイアンスはこう言うのです。
なるほど。確かに繰り返し読み上げた単語には、好印象を持つようだ。でもそれって「読み上げた」からではないだろうか?
なんども"IKTITAF"と読み上げたら、だんだん"IKTITAF"と発音するのがうまくなることでしょう。ちょうどヒライシが"IKTITAF"と入力するのがうまくなったように。だとすると、"IKTITAF"を好きになったのは、単に読みやすかったからではないのか?
そんな細かいことを...。そう思われたかも知れません。
でも「こころ」は、目で見ることも手で触れることも、定規で測ることもできないものです。それだけに「こころの本当の姿」を考えようとすれば、そんな細かいことを疎かにしてはならないのです。
それでザイアンスは、こんどは22人のアメリカ大学生にトルコ語単語リストを見せて、「どの単語が、どれくらい発音しやすいか」を答えてもらったのです。すると、発音しやすい単語ほど、好印象を持たれることが分かったのです。
これは困った。単純接触じゃなくて、発音しやすさが問題だったのか...。
ザイアンスはくじけません。ひょっとしたら「発音しやすさ」も「単純接触」も、どっちも好印象を与えるかもしれない。そこでまた実験を行うのです。
アルファベットで書かれたトルコ語だったから問題なんだ。単語は単語でも、発音ができない外国語単語だったら...。そうだ!漢字だよ漢字。漢字を使おう!
ザイアンスが、本当にそんな風に思ったのかは分かりません(でも論文を読んでいると、ザイアンスが漢字のことを思いついて小躍りしてる様が目に浮かぶのです)。
そして、今度の実験参加者たちは、さまざまな漢字を繰り返し見せられたのです(*1)。
参加者のアメリカの大学生は、漢字を読むことができません。頭のなかで発音してみることすらできないのです。だから、発音のしやすさで、ある漢字を好きになることはないはずです。
この話を読んだときヒライシは、昔、ドバイ空港に降りたときのことを思い出しました。英語の"Dobai International Airport"の下に、アラビア文字で「~~~~」と書いてあるのですが、どこからどこが「ドバイ」なのかすら、まったく見当がつきませんでした。そんな文字をひたすら見せられて、それから「どういう意味だと思う?」と尋ねられたわけです。かなり無茶な要求と言えるでしょう。
そして結果。メデタイことに、たくさん目に触れた漢字は、良い意味を持つと思われたのです。
「良い意味をもつ単語が多く使われる」のではなく「多く使われる単語が、良い意味を得る」。単純接触は、少なくとも単語の意味については、効果があるようです。
これ、とても不思議なことを言ってますよね。"good"という単語が良い意味を持つのは、"good"がたくさん使われているからだ、と言っているのですから。常識的に考えれば、"good"は良い意味を持つから、たくさん使われるという方が普通な感じがします。
そんな疑念を抱くであろう、論文の読者(≒心理学者)に向けて、ザイアンスはウィットの効いた言葉を投げかけています。
もしもまだ、ある単語がたくさん使われるのは、その単語が良いモノを指しているからだとお考えなら、下の使用頻度リストをご覧あれ。そんな疑念は一掃されることでしょう。
"If there are many remaining doubts that frequency is a function of the value of the referents, then the following frequencies of a few well-chosen but significant words shoudl once and for all dispel them"
"心理学者" 36回
"化学者" 32回
"経済学者" 32回
"社会学者" 14回
"天文学者" 9回
"物理学者" 8回
"地理学者" 7回
"植物学者" 6回
"生物学者" 5回
(*2)
ザイアンスは続けて、男性の顔写真を使った実験も行っています。トルコ語単語や漢字と同じように、単純接触の効果がありました。同じ顔でも、たくさんその顔を見た人ほど、その顔を好きになる傾向があったのです。
ただし注意する必要があります。ザイアンスは12人の顔写真を使って実験をしていますが、その中には単純接触の効果が大きかった顔もあれば、ほとんど効果のなかった顔もあります。そして、初めてみた瞬間から「好き」とされる顔も存在する。つまり単純接触の効果とは別の「その顔自体の魅力」もあったのです(*3)
「とにかくたくさん姿を見せれば、好きになってもらえる」というほどには、人生甘くはないのです。残念ながら。でも、人の魅力は容姿だけではありません。そのことを示した研究も数多く行われています。またの機会にご紹介しましょう。
「たくさん目にしたものを好きになる」。このアイディア自体は、ザイアンスが言い出すずっと昔から語られてきたものです。ザイアンス自身、論文できちんとそう書いています。でも「単純接触効果と言えばザイアンス」と言われるようになったのは、「なんとなく、そうだと思われていること」を、きちんと科学的に明らかにしたからでしょう。その意味では、一つ前の「無秩序の連鎖」の記事とも通じるところがあります。
そしてザイアンス以後、単純接触効果について、多くの研究が行われることになりました。scholar.google.comで"Zajonc mere exposure"で検索してみて下さい。彼の研究がなげかけた波紋の大きさが分かることでしょう。
こころ学、今回は古典に学びました。今後ともどうぞご贔屓に。
Zajonc, R. B. (1968). Attitudinal Effects of Mere Exposure. Journal of Personality and Social Psychology, 9(2), part 2, pp.1-27.
*1
ちなみに、実験に使われた漢字の一覧が論文に載っているのですが、「なんでこんなん使ったの?」と思うような、下手な字です。そのことにはザイアンス自身も触れています。曰く「どの字も、無意味なだけでなく、書道としても最低ラインにも達していない字だと、人からは言われた。」"... I am told that not only are most of them meaningless, but that they are far from the absolutely minimal standards of Chinese caligraphy." もう一つついでに、caligraphyがスペルミス(正しくはcalligraphy)なのは、原文ママです。
*2
「ある単語が多く使われるのは、その単語がよいモノを指しているからだ」と主張するなら、「心理学者は、地理学者や植物学者や生物学者より、ずっと良いものである」と主張することになってしまうのですね。
*3
写真は、ミシガン大学の卒業生アルバムから取ってきたものを使ったそうです。論文には、好感度評価と一緒に顔写真が載っています。「たしかにこの顔はちょっとね」とか「なるほど、当時はこういう顔が高評価だったんだ」とか面白いのですが、一方で、ちゃんと写真の本人の許可はとったのか。今だったら個人情報保護法がらみで大問題じゃないかとか、心配にもなってしまいました。
- Illustration by Shinya Yamamoto.