アタマにキくクスリ

  • 2009-04-01 (水)

オリンピックや米大リーグなど、スポーツの世界でのドーピングが問題になることは多くあります。でも皆さん、どこか他人事だと思っていませんか?

メダリストのドーピングが発覚して日本人選手がメダルを取れて良かった。ズルした奴がつかまるのは当然。やっぱり正直にがんばった人が報われなければ。そんな風に思っていませんか?

でも実は、カラダだけじゃなくて、アタマにキくクスリもあるんです。飲めばアタマが良くなるクスリが。知っている人はもう使ってます。


あなたは、どうしますか?

・・・というのは、いささか大げさな表現でした。エイプリルフールということでお許し下さい。

しかし本当の話があります。昨年の4月1日にJonathan Eisenさんがブログで報告したところによると、NIH(米国立衛生研究所)が、世界反ドーピング委員会(World Anti Doping Authority)と共同で、世界反脳ドーピング委員会(World Anti Brain Doping Authority)を設立したのです。NIHといえば、世界最大級の権威ある研究機関です。そこが脳ドーピングの問題を真剣に考え始めた。世界は実は、そこまできているのです。

・・・というのもまたエイプリルフールです。すみません。正確にいうとEisenさんの昨年のブログ記事自体が、エイプリルフールだったのです。Eisenさん、本職は進化生物学者で、立派な経歴もお持ちの方です。告白記事「エイプリルフールの告白~脳ドーピングにドップリ~」"Confessions of an April Fool and the Dope on Brain Doping"を読むと、本職は大丈夫なのか心配になるような念の入りようでエイプリルフールの準備をされたことが分かります(*1)。

そして今度こそ本当の話を。

「アタマにキくクスリ」とされるものは存在します。それらは「利口薬」"smart drug", 「脳活性薬」
"brain enhancing drug"などとも呼ばれます。個人的には「脳薬」(ノウヤク)とでも訳したいところです。

ただ、これらのクスリは「飲めば頭が良くなる薬」とも少し違い、集中力を高めたり、不安を抑えて高揚した気分をもたらすという形で働きます。元々はADHD(注意欠陥多動性障害)やナルコレプシー(突然に眠気がおそう病気)、不安障害といった神経疾患への治療薬として開発されたものです。それを"健康"な人が飲むと、集中力が高まったり、不安を忘れて目の前のことに集中できたりし、仕事や勉強の効率が上がると言われています(*2)。
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大事なことですが、これらの薬は、医師の処方が必要な薬であり、その意味するところは、濫用すれば副作用をもたらす危険性があります。

Eisenさんのブログ記事と時を同じくして、Nature誌が、脳ドーピングにかんするオンライン読者調査を行っています。その結果は、2008年の4月9日に発表されています。回答をよせたのは60カ国からの1427人。約1/3の994人は米国から。日本からは残念ながら6人しか参加してません(自分も参加していないので"残念"などと言う権利はないのですが)。

そして驚くべきことに、回答者の約5人に1人が脳薬を、疾患治療のためでではなく、集中力や記憶力を高めるために薬を使ったことがあると答えていたのです。「知っている人はもう使っています」と書きましたが、それがウソとは言えない研究者の現実です。

さて、あなたはどうしますか?

あなたの同級生が、同僚が、ライバルが、脳薬を使って成績アップ・業績アップしているかもしれない。さて、あなたは?

Nature誌の読者調査では、多くの回答者(86%)が、健康な未成年者による脳薬の利用に反対しています。一方で3分の1の回答者が、よその家の子供が脳薬を使っていると知ったら、自分の子供にも飲ませなければ...とプレッシャーを感じるだろうとも答えています。

ドーピングは、けっして他人事ではないのです。

ドーピングが許される行為か、許されざる行為か。そこには「何が道徳的に正しいのか」という価値観が入ってくるでしょう。それはサイエンスとは異なる次元の問題です。サイエンスは「事実はこうである」という話をするものであって、「このようにするべきである」という話をするものではないからです。

それでは脳ドーピングについて、サイエンスから何が言えるのでしょうか。

こうしたクスリの効果や副作用、危険性についての研究はもちろん可能ですし、徐々に行われつつあるようです。今回は少し違った方面から、この問題を考えてみましょう。

ドーピングが禁止される理由の一つに、予期せぬ副作用の危険性があるでしょう。スポーツの世界でも、ドービングが疑われる選手の死があったりします。それでは、全く副作用の恐れがほとんど全くない脳薬があれば良いのでしょうか。

話はそれほど単純ではない可能性があります。

仮に完全に安全な脳薬「X」が開発されたとしましょう。あなたはいち早く「X」を手に入れて飲み始めました。効果はバツグンで、集中力がグッと高まり、仕事や勉強がグングンはかどります。「エックスありがとう!」。

ところで、突然にめざましい活躍を始めたあなたを見て、周囲は何を思うでしょうか?「あいつ、何の魔法を使ったんだ?」。さまざまな情報が簡単に手に入る世の中ですから、「どうやらXを使っているらしい」なんて噂は、すぐに広まることでしょう。そして皆がXを飲み始めたら...

あなたがXで手にしたアドバンテージも、あっという間に消えてしまいます。後に残ったのは「みんながXを買って飲んでいる世界」。さてこれは、あなたがXに手を出す前の「誰もXを飲んでいない世界」と比べて、より幸福な世界と言えるのでしょうか?

もしも成績や業績が、他の人との比較で相対的に決まるのだったら、どちらの世界でも、あなたの成績に大した差はないでしょう。

でも「Xを買って飲んでいる世界」では、Xを買うためのお金が必要です。それは「Xを飲んでいない世界」では、払う必要のないお金。他のもっと楽しいことに使えたかもしれないお金です。どうせ同じ成績しか取れないのならば、「Xを飲んでいない世界」の方が、幸せとも言えないでしょうか?

ところが困ったことに「誰もXを飲んでいない世界」で、自分だけがXを飲んだら、とても大きなアドバンテージが得られるのです。そして誰か一人が抜け駆けしたら、他の人も我も我もと手を出すことでしょう。

みんなが飲まないのが、みんなの幸せにはもっとも良い。でも自分だけ飲むのが、自分の幸せにとってはもっとも良い。その結果、みんなが飲んでしまう。こういう状況を「社会的ジレンマ」と言います。全員の幸福のためには協力するのがよいのだけれど、抜け駆けできれば、その方が自分にとっては良い。だからみんな抜け駆けしてしまい、結果としては全員の幸福が低下する。

さらに困ったことに「誰もがXを飲んでいる世界」ができあがってしまうと、元の世界に戻るのはとても大変なのです。「これは良くない!Xは止めよう!」と訴えて、自分だけXをやめても、自分が不利になるだけです。全員が一斉にやめるのでなければ意味がない。それはとても難しいことでしょう(*3)。

社会的ジレンマはさまざまな所に見られます。

・雑用を引き受ける。
・掃除当番を守る。
・部費を払う。
・アイドリングストップ。

社会的ジレンマを解決し「みなが協力しているる世界」を作るのには、どうすればよいのか。多くの研究が、社会心理学や経済学、そして生物学の視点から行われています(*4)。

ところが脳薬について言えば、話はもう少し複雑になると、ヒライシは考えています。

「みんながXを飲んでいる世界」では、誰もが勉強や仕事に集中できて、めざましい成果を上げることでしょう。それによって、新発見や新発明、新技術の開発がドンドン進むかもしれません。つまり幸福の総量が増える可能性があります。

「抜け駆け」が「人類の幸福」につながる。それならXを飲んだ方がよいのか?Xを飲んで勉強や仕事に精を出す人は、むしろ賞賛される人なのか?ひょっとしたらそうなのかも知れません(*5)。

でも、Xは副作用がほとんど全くない脳薬という話でしたが、現実の脳薬には副作用があります。

「ライバルに負けないため」そして「人類のため」。そういう理由で副作用のある脳薬を買って飲む。人類のためにはなるかも知れないけれど、自分の健康は犠牲になる。そのために家族や友人に迷惑をかけたり、心配させるかも知れない。でもそうしないと競争を生き残れない。

おそらく、脳薬についての知識はこれからどんどん広まっていくことでしょう。その時にこの問題をどのように捉えたらよいのか。社会的ジレンマという視点は、一つの考え方の枠組みとして有効なのではないかと、ヒライシは考えています(*6)。

こころ学、今回の話はアタマにキキましたでしょうか。今後ともどうぞご贔屓に。

*1
Eisenさんのブログでは、「世界反ドーピング委員会」としてWorld Anti Doping Authorityが言及されています。実在するのはWorld Anti Doping Agency。頭文字は同じWADAですが微妙に違う。神は細部に宿るとはこういうことなのでしょうか。

*2
何をもって「健康」「不健康」とするかは、実は非常に難しい問題です。例えば人間には、自分の能力は平均よりも上だと考える傾向があります。でも全員がそう思っていたら、だいたい半分は自分の能力を過大に見ていることになります。しかし日々をつつがなく「健康」に過ごすには、そうした「誤った」自己評価も必要なのかも知れません。

*3
スポーツの世界における反ドーピングの難しさは、まさにここにあると思われます。個人的には、豊臣秀吉の「刀狩り」は、トップダウンにこれを行ったものだったのではないかと思います。

*4
社会的ジレンマについては、山岸俊男著「社会的ジレンマ―「環境破壊」から「いじめ」まで 」(PHP新書) に分かりやすく説明されています。

*5
「お金がなくてXを買えない人はどうする?」という問題もあります。

*6
「サイエンスの視点から」などと偉そうに書きましたが、気がついている人はもっと早くに気がついています。筒井康隆の「世界衛生博覧会」に「こぶ天才」という短編があります。天才の目は凡人をこえること数十年。でも、天才の発想や直感を整理し、誰もが納得し共有できる形にするのがサイエンスとも言えるでしょう。


Mahler, B. (2008). Poll results: look who's doping. Nature, 452, 674-675.
Sahakian, B., & Morein-Zamir, S. (2007). Professor's little helper. Nature, 450, 1157-1159.

- Illustration by Shinya Yamamoto.

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