虚空を見つめて

  • 2009-07-28 (火)

こんなシーンを想像してみてください。友だち3人が、道端で立ち話をしています。そのうちひとり(Aさん)が先に立ち去った後、残ったふたりは、そのAさんの話をし始めます。「で、実は彼女最近ね...」と言いながら、ふたりはさっきまでAさんが立っていた場所をちらっと見ながら、話を続けます。

よくある風景ですよね。さて問題は、どうして後に残ったふたりは、Aさんの話をする時に、Aさんがさっきまで立っていた場所を見たのか?です。Aさんはもうそこにはいないというのに、いったいふたりは誰に、あるいは何に、眼をやったんでしょうか?

エディンバラ大学の Fernanda Ferreira たちは、この現象を「無を見る」 Looking at Nothing と名づけました。これまでにいくつかの心理学実験でこの現象が研究されてきているのですが、今回はそのうちのひとつ、ユニバーシティカレッジロンドンの Daniel Richardson たちの「モグラ穴」実験をご紹介します。

コンピューター画面上に、モグラ(本当はウサギなんですが、分かりやすいのでここではモグラにしておきます)が、地面の下に穴を掘って進んでくる様子が出てきます。画面上のあるポイントまで来ると、モグラは地上にひょこっと顔を出します。あるモグラは、何かの事実、たとえば「クレオパトラは紀元前30年に亡くなった!」と喋ってから、また地中に隠れてしまうのですが、別のモグラは、特に何も喋らず、黙って地中に戻ります。こうして4匹のモグラ(モグラはどれも同じ見た目で、姿形だけからでは区別がつきません)が別々に画面上に現れ、別々の場所で立ち止まり、そのうち2匹が、何かの事実について喋ります。最後にモグラたちはいっせいに穴から出て、画面の外へと逃げていき、彼らが隠れていた4つの穴だけが、画面に残されます。さて、ここで被験者は、モグラが喋ったふたつの事実のうち、どちらかひとつについて問題を出されます。たとえば「クレオパトラがなくなったのは、紀元前100年ですか?」など。被験者は Yes/No で回答し、この繰り返しで実験が続いていきます。

さてこの実験のポイントは、被験者が最後の質問に答える時、どこを見ているか?です。もし先ほど説明した Looking at Nothing 現象が本当に生じているのなら、被験者はその特定の質問(たとえばクレオパトラの没年)について喋ってくれたモグラが隠れていた場所を、じっと見つめているのではないでしょうか?

アイ・トラッカー(視線追従装置)を用いた計測の結果は、予測どおりのものでした。被験者は、たとえばクレオパトラについて質問された時には、クレオパトラについて教えてくれたモグラの隠れていた場所を、それ以外のモグラがいた場所よりも長く見つめてから、回答していました。そんな場所をいくら見つめても、モグラは既にいないし、だいたい当のモグラを見たからといって、そのモグラが正解を教えてくれるわけでもない(というか、だいたい全部ただのコンピュータープログラムですし)というのに、人々は何もないモグラ穴をじっと見つめて、正解を思い出そうとしていたわけです。こうして、Looking at Nothing 現象が実際に生じていることが、実験的に確認されました。
lookingatnothing_3.jpg

この奇妙な現象は、いったいどのように解釈できるのでしょうか? ひとつの仮説として次のような説明が提案されています。私たちは何かの事実やモノを覚える時、単にその事実の内容やモノの特徴を覚えるだけではなくて、その事実やモノが示された「場所」についての情報も、自動的に結びつけて覚えてしまうのではないか。そして逆に、その事実やモノについての記憶を思い起こそうとする際には、結び付けて覚えられている場所情報も、自動的に引き出してしまうのではないか。その引き出された場所情報が視線を動かし、Looking at Nothing 現象を引き起こしているのではないか。しかしこの仮説は、まだ仮説でしかなく、具体的な検証はこれからの課題です。

未解明の問題のひとつとして、では Looking at Nothing は記憶の想起を手助けしているのかどうか?という点が残っています。つまりある事実を喋ったモグラがいた場所を見つめれば、その事実についてより正確に思い出すことが可能なのかどうか。実はこれについては、より正確になるという結果と、そうでもないかも、という結果の両方が出ており、これからのさらに細かい検証が必要です。

いずれにせよ、この Looking at Nothing という現象と、それに対して提案されている仮説は、私たちが事実やモノをどのような「単位」で認識・記憶しているのかという、認知心理学の根本的な問題に、新しい光を投げかけるものです。この問題は本当に古くからの伝統的問いで、たとえば心理学の黎明期に、ドイツ人哲学者イマニュエル・カントが提唱した「概念」形成の問題にも直結しているのですが、いまだに解決を見ていません。今後どのような発展を見せるのか、本当に楽しみです。

また、今回ご紹介した研究は、実験心理学の研究スタイルを表す良い例だと言えます。実験心理学はしばしば、日常生活のワンシーンからスタートします。誰もが普段何気なくやっている行動(たとえば今回の「無を見る」行動)も、よく観察してみると、実は奇妙な現象であることに気がつきます。この奇妙さを発見し、それに疑問を持つことこそ、人間の認知と脳のメカニズムを解明するための第一歩です。

以上、今回は池田が担当いたしました。

Hoover, M. A, & Richardson, D. C., (2008).
When facts go down the rabbit hole: contrasting features and objecthood as indexes to memory.
「事実がウサギ穴を落ちるとき:記憶へのインデックスとしての特徴と対象性の比較」
Cognition.108, 533-542.

Ferreira, F., Apel, J., & Henderson, J. M. (2009).
Taking a new look at looking at nothing.
「『無を見る』ことについての新しい見方」
Trends in Cognitive Science. 12, 405-410.

- Illustration by Shinya Yamamoto.

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