- 2010-02-26 (金)
男性ホルモンと聞いて何を思い浮かべますか? 筋肉増強、体毛、声変わり、そして禿げ。男性ホルモンは、良くも悪くも「男らしさ」の活性化に重要な役割を果たしています。では、脳に対する影響はどのくらいあるのでしょうか? 巷では、「男脳」と「女脳」はどう違うのかといった議論も流行していますが、こうした話にホルモンはどの程度関係しているんでしょうか? 試しに、「男性ホルモンが濃そうな人」をイメージしてみてください。見た目はやっぱり、立派な筋肉、濃い体毛、低い声といった感じで、まさしく360度肉食系。では性格は? どうやら多くの人は、「攻撃的」と想像するようです。たしかに肉食獣は攻撃的ですからね。でも男らしい男性は、本当に攻撃的なんでしょうか? ただの迷信? それとも真実? 今回はそんな研究をご紹介します。
確かに男らしさと攻撃性には関係があるように思えます。男性が女性に比べて体のサイズが大きく、筋肉量も多いことは事実で、そうした特徴が、肉体的な戦いで有利に働くことは間違いないと思われます。戦争は古来より男性が中心になって行われてきましたし、そもそも人類史に戦争が絶えなかった理由は、男性中心の社会が続いてきたためだと主張する人たちもいるようです。
また、こうした見方は科学的にも一部支持されています。たとえば、男性ホルモンの代表にテストステロンという物質がありますが、これをネズミに投与すると、攻撃的行動が増えると言われ、また刑務所に服役している受刑者の唾液からテストステロンを測ってみると、軽犯罪で捕まった人たちよりも、殺人犯や強盗犯の方が濃度が高く、かつテストステロン濃度が高い人たちは、服役中に暴力事件をおこす確率が高かったという報告もあります。まさしく男性ホルモン肉食系仮説を支持するデータ、と言いたいところなのですが、実はこうした結果の一方で、予測どおりの成果が見られなかった研究も多いようで、真実はいまだにはっきりしていません。
ここでちょっと冷静に考えてみましょう。そもそも「男らしさ」って、本当に「攻撃的」とイコールでしょうか? 確かに場合によってはそうかもしれません。けれど、「男らしくあれ」という言葉は、別に「攻撃的になれ!」と言っているわけではなくて、むしろ「感情的にならない」とか、「逃げずに挑戦する」といった意味の方が強いのではないかと思われます。あるいは「男同士の友情」なんていう場合には、攻撃的どころか、長い間協力し、助け合う関係を指していますよね。どうやら肉食系仮説では説明できない「男らしさ」の要素があるようです。
そこで登場するのが、「テストステロン出世仮説」です(注1)。これはつまり、男性ホルモンが濃い人ほど、より高い社会的地位を得よう、出世しようと努力するのではないか、という内容の仮説です。なんだか少し曖昧な定義に聞こえますが、実はその曖昧さこそ、この仮説のポイントです。
そもそも、出世するための一番の近道とは、一体何でしょうか? たとえば世が戦国時代であれば、攻撃的になったほうが武勲が上がり、出世できるかもしれませんが、現代社会のサラリーマンがそんなことをしたら即クビです。むしろ逆に攻撃的にならず、周囲の人たちに対して広く優しい心を持ち、どんな人にも公正・平等に振舞うことこそ重要かもしれません。ビジネスマン向き出世指南みたいになってしまいますが、古代中国で漢王朝を開いた劉邦と、そのライバルだった楚の項羽との比較が、良い参考になるかもしれません。歴史家・司馬遷によれば、劉邦は、傲慢で酒飲みで好色となかなか最悪な人だったと伝えられており、そうした点では、勇猛果敢で有名だったライバルの項羽に全面的に負けていたようです。しかしただ一点、劉邦は誰にでもオープンで、公平な態度で接することができるという点で非常にすぐれており、それが彼の周囲に有能な人材を集め、最終的に彼が漢の初代皇帝にまで登りつめた原因となったと言われています。どうやら戦乱の時代でさえも、単に攻撃的であればいいわけではなく、社会性と公平さこそ、出世の鍵なのかもしれません。
すなわち、テストステロン出世仮説は、次のように考えます。男性ホルモンが濃い人は、出世という大きな目標を追い求める。しかしその目的達成の手段は、状況によって変化するだろう。特に人間社会のように社会的な相互協力が重要である場合、必ずしも攻撃的であることは有利とはならない。むしろ、周囲に公平な態度で接し、無用な社会的対立を回避することこそ、出世への近道となるため、男性ホルモンの濃い人ほど、そうした態度をより多く取るようになるだろう。さてさて、果たして肉食系仮説と出世仮説、どちらがより真実に近いのでしょうか?
スイスの経済学者 Ernst Fehr を中心とした研究チームは、このふたつの仮説を検証しようと、「最後通告ゲーム」と呼ばれる実験を用いた研究を行いました。このゲーム実験については、以前田村さんがこのブログに書いた記事(『施しだったらごめんだぜ』)にも紹介されているのですが、ややこしいのでもう一度、ここでも説明をしておきます。既に理解している人は、ここからの3段落は飛ばして読んでください。
最後通告あるいは最後通牒(英語だと"ultimatum")というのは、国同士が戦争をするかどうかの瀬戸際で、「もうこれ以上は譲れない」という一線を相手国に提示する、その外交文書のことです。もしこれが拒否されたら即戦争という意味で、最後の通告というわけです。心理学実験室では、これを戦争ではなくて、お金のやり取りに応用します。AさんとBさんのふたりが実験室に呼ばれ、ふたりまとめて、たとえば1000円を与えられます。ここで Aさんは次のように言われます。「今からあなたは、一人で、この1000円をふたりでどのように分けるのかを決めてもらいます。AさんとBさんで500円ずつ分けてもいいですし、Aさんが1000円、Bさん0円でも構いません。ただしBさんは、あなたの決定を拒否する権利を持っています。そして、もしBさんがあなたの決定に不満を感じ、拒否したとしたら、1000円は全額没収され、ふたりとも一円ももらえません。」つまりAさんはBさんに最後通告を突きつけ、もしBさんがこれを拒否したら、戦争ではないにせよ、報酬はゼロという設定です。
ここで、あなたがAさんの立場になったと想像してみてください。Bさんにいくら分けますか? ほとんどの人は、何となく50/50の配分がいいように思うのではないでしょうか。もし不公平な分配をしたら、相手が怒り出して気まずいことになりそうだ、と思うのではないでしょうか。実際の実験でもそのとおりの結果になり、また、たとえばもしBさんに20%しかお金を渡さなければ、Bさんの立場の人は非常に高い確率でそれを拒否してしまいます。そんなの当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんが、実はそうでもありません。
この最後通告ゲームは、もともと経済学者が考え出したものです。古典的な経済学では、人間は合理的な計算に従って、自分の利益を最大化するように行動すると考えられています。それに従えば、もちろん報酬がゼロになってしまう事態は最悪で、どうしても避けなければいけません。ですからBさんは、たとえ自分への配分が1円であったとしても、ゼロよりましだと考えて、それを甘んじて受け入れるだろうと予測されます。そしてまた、それを知っているAさんは、当然1円しか渡さないだろうというのが、合理的な予測になります。つまりこの理論からすると、配分はAさん自身に999円、Bさんに1円、と予測されます。明らかにこの予測は、私たちの直感からも、実際の実験結果からも外れていますよね。実験経済学者と呼ばれる一部の経済学者は、こうした証拠をもとに、古典的な経済学の前提を疑い、現実の人間行動に根ざした新しい経済学を考えていかなくてはならないと提唱しています。興味のある方は、以前の田村さんの記事や、そこで紹介されている参考書がありますので、読んでみてください。
前置きが長くなってしまいましたが、この最後通告ゲームを使い、Fehrたちは次のようなテストしました。繰り返すと、検証する仮説はふたつで、(1) テストステロン肉食系仮説と、(2) テストステロン出世仮説です。これらを最後通告ゲームの文脈に当てはめると、(1) 肉食系仮説からは、「男性ホルモン濃度の高い人ほど攻撃的になるだろうから、特に公平な配分をせず、自分の利益を追求するだろう」、また反対に (2) 出世仮説では、「男性ホルモン濃度の高い人ほど、社会的な対立を避け、公平な分配をするようになるだろう」と予測されます。Fehrたちは、実験参加者のグループにテストステロンを投与し、その後最後通告ゲームを行ってもらいました(注2)。同時にコントロール・グループとして、偽薬(プラシボplacebo;薬のように見えるけれど、実はなんの効果もないもの)を投与したグループも作り、テストステロンのグループと比較を行いました(注3、注4)。
結果、テストステロンを投与されたグループでAさんの役割(配分を決定できる役割)を行った人たちの決定を見てみると、配分金額がコントロール・グループと比べて、より公平になり、出世仮説が支持されました。つまり一般的に言われているテストステロン肉食系仮説は、残念ながら迷信のようだ、という結論です(注5)。
ところがこの実験ではさらに面白い発見がありました。肉食系仮説は迷信なのですが、迷信であるがゆえに、それを信じている人たちには強い影響を及ぼす、というデータです。実験終了後、参加者に「テストステロンと偽薬、どちらを投与されたと思いますか?」と直接聞いてみて、テストステロンを投与されたと信じていた人、偽薬を投与されたと信じていた人、のふたつに分けて分配金額を見てみました。すると、面白いことに、自分がテストステロンを投与されたと信じている人は、より不公平な分配をしていました。同時に測定した性格特性についての心理尺度を見てみると、こうした人たちがもともと利己的な性格だったわけでもないようなので、やはりテストステロン信仰 -->不公平分配というのが正解のようです。信念が人間行動にどれだけ強く影響するかについての、良い例だと言えるでしょう。
というわけで、なかなか面白い実験結果なのですが、最後にいくつか疑問点を挙げておきましょう。上に書いたように、そもそもFehrたちが提案している出世仮説の論理は、非常に曖昧模糊としています。この実験のポイントは、その曖昧な論理をうまく実験に適用したところにあるわけですが、それは言い方を変えれば、曖昧さを利用して都合よくストーリーを仕立て上げてしまった、と考えることもできます。第一に、確かにテストステロンを投与された人が公平な分配をしたのは事実なわけですが、公平分配の目的は、本当に出世することなのでしょうか? おそらくこの検証をするためには、少なくとも、(1) 公平分配をした人ほど出世する、という事実と、(2) 出世したい人ほど公平に分配する、という事実を証拠立てなければならないように思われます。寡聞にして、既にこうした実証が行われているかどうか、僕は知りません。
また第二に、この実験でテストされた肉食系仮説の論理にも疑問があります。もし肉食系仮説が正しければ、テストステロン投与によって攻撃性が高くなり、そうすると不公平な分配を行うようになるはずだ、と推論されているわけですが、攻撃性と不公平な分配の間のつながりが曖昧に思えます。彼らの提案している議論をより細かく言い換えると、次のようになるでしょうか。(1) 誰でも本当は不公平な分配を行う利己的な傾向があるが、(2) 不公平な分配を行うと気まずくなったり、ひどいときには喧嘩になり、自分にとっての不利益につながるので、やらないようにしている。以上を前提として、(3) 攻撃性が高まると、喧嘩上等の状態になり、怪我の不利益よりも取り分確保の利益が優先されて、不公平分配を行う。僕もこの研究領域はあまり詳しくないので、どの程度の実証研究が進んでいるのか不明ですが、特にこの3ステップのうち、最後のふたつの議論に妥当性があるのかどうか、疑問に思います。
以上のような疑問点はあるものの、今回の研究は、これまで動物で多少研究が行われてきたにすぎない「テストステロン出世仮説」を、人間を対象として明快な結果を出すことに成功したという意味で、画期的な研究だと言えるでしょう。一般的に、科学において、大胆な仮説を立てることは非常に重要です。そうした仮説があればこそ、その検証プロセスを通じて科学は前進することが可能になります。今回ご紹介したテストステロン出世仮説も、そうした大胆な仮説のひとつと言っていいでしょう。ただし同時に私たちが注意しなければいけないのは、ひとつの実験結果だけから断定できる事実というのは意外に少ないということです。今回の研究に関して言えば、テストステロン投与が公平な分配行動を促進するのは事実だとしても、それが本当にテストステロン出世仮説を確証したかと言われれば、まだまだ疑問が残っています。今後の展開に期待、といったところでしょうか。
注1: この名前は分かりやすくするために僕がつけたもので、本当は「社会的地位仮説social status hypothesis」と呼ばれています。
注2: この研究では、実験参加者はすべて女性です。これまでの研究で、テストステロン投与の効果がよりよく分かっているのは女性だから、と説明されています。
注3: 自然科学の実験では、こうしたコントロール群を必ず設定し、実験操作をした群と比較する必要があります。その理由は、実験をする側が「操作をした」と信じている要因(今回の場合であればテストステロンの投与)以外の要因が原因となって、結果が出てしまうかもしれないからです。今回であれば、薬の中身ではなくて、「薬の投与」というプロセス自体が、結果を導き出す原因となっているかもしれません。そこで偽薬を使って、その要因を「コントロール」し、そちら側の可能性を否定する必要があります。
注4: この実験はダブルブラインド・デザインdouble blind design を採用しています。実験をする側も受ける側も、投与する薬が本当に効果のあるもの(この場合テストステロン)なのか、偽薬なのか、知らない状態で行う、という意味です。実験を受ける側が、どちらの薬を与えられているのか、知らない方がいいのは当然なのですが、実験を行う側も知らないでいる方がより客観的なデータを得ることができます。もしも実験者が薬の中身を知っていたら、無意識のうちに参加者を誘導してしまうかもしれない(実験者効果と呼びます)ためで、こうした効果が存在し、時として大きな誤りを導き出すことが、これまでに確かめられています。実験者も、参加者も、ダブルで薬の中身が見えない(blind)なので、「ダブルブラインド」です。
注5: ちなみに参加者はBさんの役割に振られる場合もあったのですが、その場合の拒否率にテストステロンの影響は見られなかったようです。拒否率が下がらなかったということは、テストステロンを投与された人が、単に「いい人」になったわけではない、ということを示しています。
Prejudice and truth about the effect of testosterone on human bargaining behaviour(人間の取引行動に対するテストステロンの効果について、その偏見と真実)
Eisenegger, C., Naef, M., Snozzi, R., Heinrichs, M., Fehr, E. (2010). Nature, 463(21), 356-359.
doi: 10.1038/nature08711
- Illustration by Shinya Yamamoto.
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