譲り合いのまなざし

  • 2010-03-31 (水)

街中を歩いていたら、見知らぬ人が立ち止まって、ちょっと離れたところをじーっと見ています。あなただったら、どう思いますか?おそらく、ついつい、その人が見ている方に何があるのか、見ようとしてしまうのではないでしょうか。「え?なに?何か面白いもの(変なもの)でもあるの?」。ヒライシなどは、そうやって視線を追うのは何か「負けた」感じがして、抵抗するのですが、しかし「見たい」という気持ちに抗うのはなかなか大変です。

「まなざし」には、このように私たちの注意をその先に向かわせる力があります。正しく言えば、私たちには、他人の視線が向いている先に自分の視線(注意)を向けてしまう「こころ」が備わっていると言ってもよいでしょう。「注意を向けてしまう」という書き方をしましたが、これは文字通りの意味です。多くの心理学の実験から、人間は他者の視線の方向に自動的に注意を向けてしまうことが知られています。

ごく簡単な実験を紹介しましょう。これはポズナー法(Posner Cueing Paradigm)と呼ばれるものです。とても有名な実験なのですが、やっていることは、パソコンを使ったゲームみたいなものです。
まず実験に参加する人は、椅子に座って、正面のモニター画面を見て下さいと言われます。手元には横に並んだボタンが二つあります。画面は真っ白なのですが、真ん中に「+」が出ています。その「+」をずーっと見ていて下さいと言われます。しばらくすると「+」が消えて、画面の右側または左側に何かマーク(例えば「○」)がでてきます。それで、「○」が右側に出たら右ボタン、左側に出たら左ボタンを、なるべく早く押して下さいと言われます。それだけです。こうした「+」→「○」→「ボタン押す」というのを、何十回、何百回、何千回と繰り返す実験です。

ここでちょっとしたトリックを仕掛けます。「+」が消えてから「○」が出るまでの間に、画面の真ん中に「→」を出したりするのです。するとどういうことが起きるか。

例えば「→」がでてから画面の右側に「○」がでたときと、「←」がでてから右側に「○」が出た場合では、ボタンを押すスピードが変わってくるのです。勘づいた方も多いと思いますが「→」が出たときの方が、ボタンを早く押せるのです。これは「→」がでることで、注意が右側に引っ張られてしまうためと言われています。こうした注意の移動は、意識していなくても起きてしまう、自動的なものであることが分かっています。

posner.jpg

面白いことに、矢印ではなくて、人の顔を出しても同じことがおきます。右を見ている顔写真を出したり、左を見ている顔写真を出したりするのですね。そうすると、私たちの注意は右または左に引っ張られます。人間には、他人の視線方向に注意を自動的に向けてしまう”こころ”があるわけです。

視線を使ったポズナー法の心理学実験は多く行われていて、検索すれば、色々な論文が見つかります。ヒライシが今ちょっと調べてみたら、画面に出てくる顔が怒っている時と笑っている時だったらどうなるんだろう、顔が上下逆さまの顔だったらどうなるんだろう?なんて研究が見つかりました。

こうした「視線の共有」はコミュニケーションにおいて、とても重要なものと言われています。視線を共有することでで、同じものを見る、つまり同じ興味や関心を持つことができるからです。それができなければ、今、自分たちが何について会話しているのかすら、おぼつかなくなりかねません。「あ、あれすごい。あんな色の車。恥ずかしくないのかなぁ」「別に、青い車なんていくらでもあるじゃない」「そうじゃないってば、あっち、右奥3台目の、ピンクと紫のツートンカラーのやつだよ」「あぁ、それか。最初からそっち見ろってはっきり言えばいいのに」「言わなきゃ見ないのかよ」。

実際、ヒトという動物の目は、他の霊長類(ニホンザルとかチンパンジーとかゴリラとか)と比べて、横長で、白目と黒目の境がはっきりしており、視線方向がはっきり分かるような形をしています(注1)。これは、ヒトが、視線を積極的に使ってコミュニケーションするよう進化した動物であることを意味するのかもしれません。

それじゃ、いついかなる時も、他人の視線を追った方が良いのでしょうか?そして我々は、いついかなる時も、他人の視線を自動的に追っているのでしょうか?

話は変わりますが、渋谷駅前のスクランブル交差点。膨大な通行量で知られており、渋谷センター街のWebサイトによれば、一番多い時間帯は、一回の青信号で3000人もの人が渡るそうです。京都のノンビリした空気にすっかり慣れてしまったヒライシは、久しぶりに渋谷に行くと、人の多さに腹が立ってくるほど、人が沢山います(自分もその内の一人なのに)。ところでヒライシは学生時代から何度も渋谷駅前スクランブル交差点を渡ってきましたが、今まで一度たりとも、他の通行者と正面衝突をしたことがありません。かすったことすらありません(注2)。あんなに沢山の人がいるのに、なんでぶつからないのでしょうか?

フィンランドはTampere大学のNummenmaaさんたちの研究グループは、「視線」に着目して、この問題を研究しました(注3)。言ってしまえば単純なこと。私たちは、前から歩いてくる人の視線を見て、その人がどっちに行きそうか予測して、衝突を避けているのではないか、ということです。

Nummenmaaさんらは、仮説を調べるために、コンピュータを使ったシミュレーション実験をしました。というと大げさですが、自分の視野がそのまま画面になっているような、FPSゲームを想像してもらえればOKです。目の前に20インチの画面がおかれ、あたかも自分が画面の奥の方に向かって歩いているかのようなアニメーションが表示されます。すると画面奥(つまり自分の進む先)から、男性がずんずんこちらに向かって歩いてきます。画面の中の男性が大きくなった(近づいてきた)ところで、ビープ音が鳴るので、手元のボタンで、右または左によける。それだけです。

はじめの実験では、画面中の男性は、ずっと右または左を見ながら歩いてきました。すると、男性が自分の右を見ながら歩いてきたときには左に、左を見ていたときは右によける実験参加者が多いことがわかりました。なるほど。仮説は支持されたということです。

I_will_walk_this_way.jpg

そこでNummenmaaさんらは、もう一つ実験を追加しました。今度は男性が、まっすぐこちらを見ながらズンズン歩いて来るのです。論文には実際の実験画面が載っているのですが、向かってくるのはかなり体格の良い短髪男性で、アニメーション故の人工感(ロボット感)もあり、ちょっとした迫力があります。その男性がズンズンまっすぐこっちを直視しながら近づいてくる。さぁどうする。どっちに避ければ良いのか。

しかし短髪男性は、かなり近くまで(画面上では胸から上しか見えないくらいまで)寄ってきたところで、さっと右(または左)を見るのです。実験参加者は、それと同時に右によけるか左によけるかを選びます。結果は予想通り、”衝突直前”のさっとした視線の動きから、実験参加者は視線とは逆方向に避けることができていたのでした。

さらにNummenmaaさんらは、このときの実験参加者の視線の動きを、特殊な機械をつかって調べています。すると、画面中の男性が「サッ」と視線を動かしたのに応じて、参加者達は、それとは逆を見ていたことが分かりました。

この実験結果は、最初に述べたPosner法の実験結果 ~人間は他人の視線方向に注意を向けてしまう傾向がある~ とあわせて考えると、より興味深いものです。ついつい人の見ている方を見てしまうくせに、前から歩いて来る人とぶつかりそうになると、相手の視線方向から目を反らすらしい。相手と積極的にかかわっていくコミュニケーション(例えば会話)では、人間は視線方向を共有し、相手と”譲り合うコミュニケーション”(例えば歩道での衝突回避)では、人間は視線を譲り合うのかもしれません。視線を向けあったり譲り合ったりすることで、人間は上手にコミュニケーションを取っている、と言うことでしょうか。

ヒライシとしては、衝突しそうになったときに、お互いが譲りあって”フェイント合戦”みたいになってしまう現象にも興味があります。ああいう時には、視線を上手く譲れていないのかも知れませんね。

今回は日常の何気ない振る舞いに潜むこころ学を紹介しました。今後ともどうぞご贔屓に。

Nummenmaa, L., Hyona, J., & Hietanen, J. K. (2009). I'll Walk This Way: Eyes Reveal the Direction of Locomotion and Make Passersby Look and Go the Other Way. (「こっちに行くよ」:目が行き先を告げて、対面歩行者は反対を見て避ける)
Psychological Science, 20(12), 1454-1458. doi:10.1111/j.1467-9280.2009.02464.x

注1)Kobayashi, H., & Kohshima, S. (1997). Unique morphology of the human eye.(ヒトの目の特殊な形) Nature, 387(6635), 767-768.
注2)むしろ経験があるのは、前を歩いている人の踵を踏んでしまったり、自分が踏まれたりと言ったことです。前を歩いている人の視線は、分からないからでしょうか?
注3)「着目」という表現それ自体が、視線の持つ意味を表していて面白いです。

- Illustration by Shinya Yamamoto.

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