指と科学とお相撲と(2)

  • 2012-02-08 (水)

前回の記事から時間がたってしまいましたが、指と日本の伝統的格闘技、すなわち「大相撲」の関係について、ご紹介したいと思います。実はのんびりしている間に、大手ブログサイトで論文が紹介されてしまったり、研究チームのリーダーである大竹文雄先生ご自身がブログで紹介されたりしたので、研究結果の大枠について、すでにご存知の方も多いと思います。そこで、それらの記事で触れられていない、論文の細部、重箱の隅の味わい方をご紹介しようかと思います。

簡単におさらいしておくと、母胎内での性ホルモン暴露量が、人差し指と薬指の長さの比に関係するらしい、というのが前回の記事の話でした。具体的には、男性ホルモンをより多く浴びることで、薬指と比べた時の人差し指の長さが、短くなる。たとえば日本人男性では、人差し指は薬指の平均95%の長さだが、女性では平均96%といったデータなどをご紹介しました。そして、この指の長さの比(2D:4D)がスポーツ能力と関係するらしい、という話もちょっとだけ紹介しました。

そこで、というのが大阪大学経済研究所の大竹文雄先生率いるグループの研究です(※1)。Rie Tamiyaさん、Sun Youn Leeさん、そして大竹先生の共同研究です。この御三方が注目したのが、お相撲さんの手形。「指の長さがスポーツ能力と相関するってんなら、力士の手形から、指の長さを測ったらいいんじゃないの?」という、単純素朴にして虚を突く発想。ヒライシ、この手の「やられた!」と思わされる研究が大好きです。

結果はすでに大手ブログサイトでも紹介されているとおり。指の長さの比と、相撲の成績は相関していました。めでたしめでたし。

でも、それで終わりにするにはもったいない面白さが、この論文にはいくつも隠れているのです。

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1)昔の手形を使っている!

研究に用いた手形は、両国の相撲博物館に所蔵のものを用いたとのこと。なんとここには、1790年以降のすべての手形のコレクションがあるのだそうです。そのうち十両から幕内の力士の手形の写真を撮って、指の長さを測ったとのこと。横綱については、現存するすべての手形。大関から前頭については、第二次大戦後に幕内になった力士のうち、写真を撮った時点ですでに引退していた力士全員のもの。十両については、平成になってから活動し、手形収集時点で引退していた力士のもの。

さらっと書きましたが、重要なポイントがあります。手形は基本的に「もう引退した力士」のものだったのです。その理由はシンプル。例えばいま十両の将来有望な力士がいたとしましょう。彼の指の長さを測って、彼の今の成績と比べてみたとして、何がわかるでしょう?彼の実績はまだ、せいぜい"十両で○勝"に過ぎません。将来の大横綱かもしれないけれど、それはまだ分からない。つまり現役力士の指を調べても「その力士の生涯成績」は分からないわけですね。そこで、すでに選手生命を終えた力士についてだけ分析したということなのです。

ただし、横綱については、現役が含まれています。それは研究が基本的に「指と番付の関係」を分析しているからです。横綱はもう番付が変わることは無いですからね(東西はあっても)。

それにしても、分析データの中に、朝青龍はもちろん、貴乃花とか千代の富士とか北の湖とか小錦とかの手形が入っているのかと思うと、なかなかシミジミとするものがあります。残念ながら雷電のものは入っていないようですが、でも19世紀の力士のデータとかは入っているわけですよね。そう考えると、これは一種、歴史データの分析とも言えるわけです。

2)何気にちゃんと手も測っている。

前回の記事にも書いたように、指の長さについての研究は山のように行われていて、その中には「指の測り方」についての研究なんてものもあります。力士の研究では手形を使っていますが、その他に、掌のコピーを取る(コピー機にベタッと手を置いてもらって撮ります)、X線で撮る、掌にノギスを当てて測る、などさまざまがあります。中には、X線とコピー機の両方をやってみたら、コピーから測ったほうが指比が小さくなっていた(人差し指が短めに写っていた)とか、コピー機を使ったほうが性差が大きいとか、なんだかよく分からない研究などもあります。

そんなこともあって、研究グループが論文を書いて、専門雑誌に投稿したところ、「手形から、ちゃんと指の長さが測れているの?」というツッコミが、雑誌の査読者からあったそうです。査読者というのは、論文の内容を吟味して、雑誌に掲載して良いかどうか判断する人です。多くの場合は、同じような研究をしている専門家が匿名で担当します。査読者の要求に応えられないと、雑誌に載せてもらうことはできない。言い換えれば「ちゃんと専門家から認められた研究成果である」というお墨付きが得られない。ですから研究者にとって、査読者のツッコミに応えることは、とてもとても大事なことです。

それで研究グループの皆さんは、存命の相撲親方に頼んで、指を測らせてもらって、それを手形のデータと比べるということをしています。簡単なことにきこえるかもしれませんが、皆さん、もし自分でやるとなったらどうでしょう?大相撲の親方に連絡して「指を測らせてください」と頼むのです。電話すれば良いのでしょうか?メアドを公開している親方もいるのでしょうか??それに加えて、大竹先生から教えていただいたのですが、親方衆にお願いをしたのは、昨年の3月、東日本大地震震災の混乱の中であったとのこと。でも、そうした研究の苦労は、論文には現れません。「手形で大丈夫か、存命の元力士の指を測って、手形のデータと比べたら、大丈夫だった」といった記述が、ほんの少し、さらっと書かれているだけです。そこにヒライシなどは痺れたりするのです。

そして、大竹先生からこのエピソードを伺ったときにヒライシが思い出したのは、千葉に住む母からきいた話でした。ヒライシの実家の近くには東京湾の埋立地が広がっており、震災直後は、液状化で水道が壊れて大変だったそうです。特に古い団地などでは、エレベーターもなく、水もでず、しかも住民は高齢化している。そんな中、地元に部屋のあるお相撲さんたちが、水を上の階まで運んでくれていたそうです。震災の中でお相撲さんが見せてくれた親切。掌を測らせてくれたり、水を運んでくれたりといった親切に、相撲いいなぁと単純に思ってしまったヒライシではありあます。

3)あんがい単純でない結果

さきに「指と成績に関係が見られた、メデタシメデタシ」と書きましたが、調査結果は、そこまで単純ではなかったというのが、この論文のまた別の面白さです。横綱から十両までの手形をすべてあわせて「指」と成績の関係をみると、弱いながらも、統計的に意味のある関係が見出されました。しかし、十両と前頭の手形にお引取りいただいて、小結以上の力士の手形だけみると、そうした関係が消えてしまったのです。つまり小結以上では、人差し指が短いからといって、成績が良くなるわけではない。これは「番付」でみたときも「勝率」でみたときも同じです。

なぜこんなことになるのでしょう?著者たちは、小結から上のランクでは、単なる勝利数ではなく「勝利の質」であるとか「対戦相手の番付」「相撲文化への態度」といった要素も、昇格にかかわってくるからではないか?と書いています。指の長さと成績の関係をみるだけで、相撲における「品格」の問題が浮かび上がってくるなんて、面白くはないでしょうか。

心理学や経済学では、おうおうにして"人間"を"数字"にして分析します。今回の研究だって、一人ひとりのお相撲さんを「勝率」とか「番付」、そして「指の長さの比」という、単純な数字に押し込んでいるのです。それは人間性にたいする大変な冒涜といえば、冒涜かもしれません。一人ひとりの力士は、決して、これらの数字だけで表されるものではないからです。朝青龍のほうが生涯勝率が高いから、貴乃花より偉いとか、そんなこと言ったら怒り出す人はたくさんいるでしょう。ご当人たちだって戸惑うのではないかと思います。しかし、そういう乱暴な"数字"を丹念にながめていると、時として、そこから"人間"が浮かび上がってくる瞬間があります。これが人間科学の醍醐味(の一つ)ではないかと、ヒライシは思っています。

ところで一つ疑問。小結以上で「指と番付」が関係しないことは、上記の説明で、まぁ納得できる気がします。しかし「指と勝率」にも関係が見られなくなってしまうのはなぜなのでしょう?小結より上の勝負では、純粋な力士としての力以外のものが、勝利にかかわってくるのでしょうか?

4)なぜに経済学者が?どこが「こころ学」?

これはヒライシ自身、大竹先生に伺ってみたいのですが、なぜ「大阪大学経済学研究所」の先生が、相撲と指の関係など研究しているのでしょう?実は恥ずかしい話、ヒライシはかつて(大学に入る前ですよ!)経済学って、お金のことだけ研究している分野だと思っていました。しかし実際は、経済学のカバーする領域はとても広いのですね。例えばお相撲を扱った経済学の研究としては「ヤバい経済学」という本のものなどが有名です。これは「八百長」という、いわばお相撲のダークサイドを扱ったものですが。それにしても、なぜまた「指とお相撲」?とは思います。

そして、この研究のどこが「こころ学」なのでしょう?

それを答えるのは易しくはないのですが、ヒライシはこう考えます。「こころ」というと、なんだか人間の体の中、具体的には「アタマの中」で起きていることのように思えます。もちろんそういう面も重要なのですが、そうした「内面」ばっかりを見ていても、人間がやることなすことを理解することはできないのではないか。それこそ「指の長さ」とか「争いごと(相撲)での強さ」などは、ヒトだけでなく、さまざまな動物でも調べることができるものです。そうした「外面」というか、外に出てきているものを丹念に研究する。そうすると、そこから「幕内では指と成績は関係しない」といった、「こころ」とか、こころが作る「世のありよう」を抜きには理解しがたいような現象が現れてくる。それが面白いのではないかと。最初から内面ばかりを見ていたら得られない面白さが、そこにあるのではないかと思っています。

5)その他細かいことを。
他にも細かい「重箱の隅」がたくさんあります。ディープなものも含め、幾つか。

相撲の番付システムについてわざわざ表を1つ使って説明している。
文中でも「勝ち越し」とか「負け越し」、「場所」といったものについて、かなりの紙幅をさいて説明しています。分からない人には分からないですもんねぇ。ずっと前の「ラップダンサー」の記事で書いたのと同じような面白みがここにはあります。

引用文献がなんか変なことになっている。
過去の力士の戦績を調べた文献が、次のように紹介されています。

Henshubu, S. (2001) Ozumo Jinbutsu Daijiten [grand sumo encyclopedia](1st.ed.). Tokyo: Baseball Magazine Company

ここから、ベースボールマガジン社出版の「大相撲人物大辞典」(2001年出版)から調べたんただな、とはわかります。わかりますが、著者名の「Henshubu, S.」とは?ここは普通「姓、名前のイニシャル」で書くところ。ヒライシなら「Hiraishi, K.」ですね。ひょっとして「編集部サエコ」とか、そんな人が居るんだろうか?と思って検索してわかりました。「"相撲"編集部」の編集した「大相撲大辞典」なんですね。なんでこんなことになったのか、たぶん、雑誌の校閲者が何か勘違いしたのだと思いますが。

体重は成績に影響していない!
指と成績の関係を分析するついでに、身長と体重の影響も見ています。すると背が高いほうが成績が良いという関係はみられるのですが、体重が重いほうが成績が良いという関係は見られません。重いほうが強そうなのに、なぜでしょう?著者らは、力士はおそらく自分にとっての最適体重まで体重を増やすので、体重の効果はもはや見られないのだろうと分析しています。ここでも数字から「ちゃんこ文化」が透けて見えています。

「こころ学」、今回は伝統的格闘技の文化を指から浮き彫りにした研究を紹介してみました。

※1: Tamiya, R., Lee, S. Y., & Ohtake, F. (n.d.). Second to fourth digit ratio and the sporting success of sumo wrestlers. Evolution and Human Behavior. doi:10.1016/j.evolhumbehav.2011.07.003

- Illustration by Shinya Yamamoto.

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