オオカワウソは敬老の夢を見るか

  • 2010-10-01 (金)

大変な暑さの夏でしたが、皆さま、無事に乗り切られましたでしょうか。そうこうしているうちに、ふと気がついたら敬老の日をすでに過ぎてしまっていました。時期を逸した観が大きいですが、敬老の日用に準備しておいた話を、いまさらご紹介しようと思います。

「敬老の日」を持ち出すまでもなく、日本の社会には、年老いた人々への敬意を奨励する文化があります。ここには儒教の影響などもあるでしょうが、それだけなのでしょうか?例えば他の社会でも敬老の精神は見られるのでしょうか?はたまた、人間以外の動物でも、敬老の精神(に通ずる行動)が見られたりするのでしょうか?

そんな疑問にたいして、Duke大学のDavenportさんが、老母をいたわるカワウソの研究を報告しています(注1)。

Davenportさんが調査したのは、南米はペールのCOCHA SALVADOR(サルバドール湖)にすむオオカワウソ(Giant Otter; Pteronura sbrasiliensis)です。このカワウソたちは”家族”を作るそうです。

ここで言う”家族”とは、必ずしもに人間社会での家族と全く同じものではありません。動物行動学で言うところの家族です。それは、成長した子供たちが親元を離れずに、次に生まれてきた弟や妹の世話を手伝いつつ、一緒に暮らすような生活スタイルのことを言います。オオカワウソの場合、1.5~4年ほど、親元に留まるのだそうです。

なんだ、そんなの当たり前じゃないか、と思う方もいるでしょう。確かに人間社会では当たり前のことかもしれません。しかし広く動物の世界をみれば、「家族」を作ることは、必ずしも当たり前ではありません。成長した子供がすぐに親元を離れ、自活して生活していく動物も多く見られます。動物好きのかたは、テレビで鳥の雛が自立していく感動的なシーンを見たことなどあるかもしれません。

ちょっと理屈っぽく考えると、成長した子供が親元に留まるということは、不思議なことでもあります。

親元にとどまる場合、その子供たちは、自分の子供を作ることはありません。つまり親からすれば、孫の顔を拝ませてくれない。まだ成熟していない子供ならばそれもわかりますが、すでに性的に成熟している子供ならば、さっさと自立して孫の顔を拝ませてくれれば、子孫繁栄。自然淘汰による進化において有利になるように思えます。晩婚化と少子化が進む日本で、人口が徐々に減ってきていることを考えてみると、イメージが掴めるかもしれません(注2)。

なぜ家族を作る動物と、家族を作らない(子どもがすぐ自立する)動物がいるのか。これはこれで興味深い問題なのですが、今日の本題からは外れますので、またの機会にゆずりましょう(注2)。今日の本題は、そう。敬老の精神です。

Davenportさん達が調査してきたカワウソの家族にはカカオ(Cacao)という母親がいました。このカカオ、なかなかの肝っ玉母さんだったようで、最初にサルバドール湖で観察された1998年から2006年に至るまで、毎年1~4頭の子供を産んできたそうです。カワウソですから主食は魚。カカオは若い息子や娘、(おそらく)年下の夫よりも、はるかに優れた漁師だったようです。家族の誰よりもたくさんの魚をとってきて、幼子たちに食べさせる。”母の鑑”とも言うべきカワウソであったそうなのです。

しかしカカオにも勝てないものがありました。年齢です。2007年、カカオの漁獲高はガクッと落ちます。前の年まで守っていた家族内でのトップの地位を明け渡しただけでなく、むしろその漁獲高は家族内での最下位にまでなってしまいました。もはや幼い子供たちに魚を分け与える余裕などありません。むしろ、自分のお腹を満たすだけの魚も取れなくなってしまったのです。Davenportさんの論文を読むと、単に体力が衰えただけでなく、視力にも問題を抱えていたようです。

お腹をすかせた、これまでさんざん世話になってきた母を前に、カワウソ一家はどのような対応を見せたのでしょうか。そうなのです。カワウソたちは、今度は彼女に魚を分け与えるようになったと、Davenportさんは報告します。

遠く南米の湖に、年老いた母をいたわるカワウソたちが住んでいる。なんて美しい話でしょうか。私たち日本人も改めて「敬老」ということを考えねば!そんな気持ちにさせられる研究です。


表面だけをなぞれば。


研究者というのは因果な商売で、こうした現象を見たからと言って、すぐに「カワウソにも敬老の精神がある!」などと言い出すことはありません。Davenportさんもしかり、です。


そもそも。と研究者は考えます。そもそも、老いた個体を助けることで、一体どのような進化上の利益があるのだろうか?


先にお断りしておきますが、これから書く事は「進化上の利益」についての話です。進化上の利益というのは、いささか簡単に言ってしまうと、「子孫の数を増やすために役立つか」という話です。さて、老母をいたわることは、カワウソ一家の子孫繁栄に役立つでしょうか?

老母カカオに与えられた魚は、幼くてまだ漁の下手な末っ子(ケイマン; 1歳未満のオス)に与えることもできた魚です。老母がその魚を食べるということは、末っ子が腹を空かせる危険性を高めます。そして老母はこの先、もはや自分で子を生むことはできません。他の家族のために、魚を持ってきてくれることも、期待できないでしょう。

反対に末っ子は、カワウソ一家の未来です。今でこそ体力もなく漁も下手ですが、これから成長していけば、いずれ自立して自分の子をなし、その子を養っていくことで、子孫繁栄に貢献できます。

さぁどうでしょう。魚を老母に与えるのと、末っ子に与えるのと、どちらか”進化的に得”なのか。答えは明らかに思えます。

それにもかかわらず、カワウソ一家は、なぜ老母に魚を与えたのでしょうか?大きな疑問が生まれてくるのです。生物の体や行動を形造ってきたのは自然淘汰による進化と考えられますので、進化的に不利益をもたらす行動、すなわち「老母へのいたわり」が存在することは、とても不思議なことです。なぜそんな不思議なことが起きているのか。この話については、次回、また別の研究と合わせて紹介したいと思います。


最後に。カワウソ一家は老母をいたわると書いてきましたが、その表現は、実はあまり適切でありません。理由の一つには、安易に動物の行動を擬人化して理解してはならないということがあります。しかし仮に擬人化を許したとしても、あまり「いたわって」いるようには思えないのです。

Davenportさん達は、老母に魚を与えるシーンの動画を,論文と一緒に公開しています(ダウンロード, 14.28MB, MP4)。カワウソの子供がオトナに魚をねだる時には、大声を出して要求するそうです。しかしカカオは声を出しません。魚をとってきた家族の近くで、ジッとそちらを見るだけです。見られている方は、特にカカオを気遣う様子もなく魚を食べています(気遣う様子もなく、というのはヒライシの主観ですが)。そしてあらかた食べたところで、おもむろに魚を持ち上げます。すると瞬間、カカオが魚に飛びついてむしゃぶるのです。とても主観的な書き方をしましたが、敢えて動物に「こころ」を読み取ろうとしても「いたわり」「敬老」という「こころ」を、このビデオからは感じられなかったということです。

客観的なデータも、この印象を裏付けるもののようです。子供が食べ物をねだった場合には、5割以上の確率で分けてもらえるそうです。しかしカカオが2007年にねだった場合の記録を見ると、43回中11回、たった26%ほどの場合しか、分けてもらえなかったというのです。

「敬老」が進化的な利益をもたらさないのならば、こうした家族の振る舞いは,納得のいくものです。

そして、そういうカワウソをみて、なんとなく心が痛む感じがする自分自身の「こころ」もまた、興味深いものです。南米の湖に住む老いたメスのカワウソが家族からどんな仕打ちを受けたといって、私(ヒライシ)の人生にはほとんど何の影響もないはずです。それでも、家族をじっと見るカカオの姿に、切ない気持ちになるのはなぜなのでしょう。

こころ学。今回はカワウソの老母について紹介しました。次回はまた他の動物の老母についてご紹介する予定です。今後ともどうぞご贔屓に。


注1)Davenport, L. C. (2010). Aid to a Declining Matriarch in the Giant Otter (Pteronura brasiliensis). "老いた女家長を助けるオオカワウソ" PLoS ONE, 5(6), e11385. doi:10.1371/journal.pone.0011385

※論文はこちらから読めます
※ビデオはこちらからダウンロードできます(14MB)

注2)母親以外の個体が子育てにかかわることをアロマザリングと呼びます。ヒトはアロマザリングをする動物です。アロマザリングの総説については、『ヒトの子育ての進化と文化~アロマザリングの役割を考える』(根ヶ山光一・柏木惠子編著, 有斐閣)が参考になります。

注3)誤解を招く書き方をしていますが、「子孫繁栄」とは、個体や家族レベルの話であり、国家や種レベルの話ではありません。多くの場合、進化は「ヒトという種の繁栄」や「日本人の血の存続」というレベルで働くものではありません。

Comments:2

alegre 2010-10-03 (日) 21:20

いつもいかにも素人っぽいコメントで恐縮ですが、カワウソ一家が老母に魚を与える行為・・・今までその老母が魚をくれた分、それに対してお返ししたいという気持ちがあってのことなのかも?でも、なんでお返ししたい気持ちになるんだろう、と考えることの方が進化心理学的には本題に当たるのでしょうけどね。

Kai 2010-10-04 (月) 12:03

仰るとおり「なんでお返ししたい気持ちになるんだろう、と考えること」が進化心理学的には、本題になります。

もちろん、オオカワウソはどんな気持ちで老母に魚を与えるのだろう?と考えることも、心理学的に興味深い問題です。でもそれと「なぜ、そういう心を持っているのだろう?」と考えることは、問題のレベルが違うということです。別にどちらがより「上等のレベルの問い」ということではなく。

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