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河合教授の論評記事が『新潮』3月号に掲載されました

 河合俊雄教授が村上春樹作品を読み解いた論評記事「村上春樹におけるインターフェイスとしての夢」が、『新潮』3月号に掲載されました。
 河合教授は同誌2013年7月号において、『色彩を持たない多崎つくるの現実への巡礼』という論評を発表し、村上作品の最新長編を「現代の意識とこころの課題に向き合った、新たな展開を遂げた作品」と位置づけています。今回は内容をさらに発展させ、作品で多く描かれる夢やイマジネーションが、近代意識に特有な「クローズドシステム」としてのこころにアプローチし、他者・身体・現実へとつながる「インターフェイス」の役割を果たしていると考察。数多くの事例を織り交ぜながら、心理療法との関連性やユング心理学との類似性について論じています。

140311kawai_shincho.png「村上春樹におけるインターフェイスとしての夢」
「それからつくるはもう一度眠りに落ちたのだろう。やがて彼は夢の中に目を覚ました。いや、正確にはそれを夢と呼ぶことはできないかもしれない。そこにあるのは、すべての夢の特質を具えた現実だった。それは特殊な時刻に、特殊な場所に解き放たれた想像力だけが立ち上げることのできる、異なった現実の相だった。」
 これは、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(以下『色彩を持たない……』)からの引用である。この作品は、これまでの村上春樹の長編小説とはかなり異なるものとなっている。特に、これまでの作品のような向こう側の世界や非現実の世界が描かれていないところが特徴的であろう。異世界への境界を簡単に超えていかないことに伴って、こころを閉じられた個人の内にあるものとする近代意識に特有な内面化が必然的に進み、他者との関係も現実的なものになっている。それを『ノルウェイの森』以来のリアリズムとか、ある種の平板化として捉える見方も存在するようである。しかしそのように異世界が消滅していったなかで、冒頭の引用でもふれられているような夢やイマジネーションの性質が特異である。それは必ずしも個人における内面的なものではないように思われ、いわばインターフェイスとして夢やイマジネーションが機能している場合が見られる。本論ではこの村上春樹の最新長編からインターフェイスとしてのイマジネーションや夢のはたらきについて取り上げ、それが実際の心理療法においてどのような位置を占めているかを示したい。
(記事より)

■関連情報
「河合教授による村上春樹最新作の論評記事『色彩を持たない多崎つくるの現実への巡礼』が『新潮』7月号に掲載されました」(2013.6.19)
『村上春樹の「物語」―夢テキストとして読み解く―』(河合俊雄/著、2011年、新潮社)

2014/03/05

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