『ミネルヴァ通信「究」』に河合教授の連載第18回が掲載されました
ミネルヴァ書房の発行する月刊誌『ミネルヴァ通信「究」(きわめる)』2018年2月号に河合俊雄教授の連載「こころの最前線と古層」が掲載されました。
今回のテーマは「神話の論理」です。
著者はまず、神話では我々が普段生きている、いわゆるアリストテレス的な論理は神話のなかではやすやすと超えられることを指摘します。
その論理のもとでは、異質の他者との出会いがあったとしても、単に排除されるのではなく、それとつながることになって豊かになっていこうとする動きが生まれるといいます。
ただしそれは当然、簡単なことではなく、矛盾律を超えるためにはまずはっきりとした矛盾が必要であることも指摘されています。
こうした神話の論理が、今を生きる私たちのこころにも生きていることがおもしろいところです。
(解説:畑中千紘助教・上廣倫理財団寄付研究部門)
こころの最前線と古層(一八) 「神話の論理」河合俊雄
われわれの現実、特に法的な現実を支配しているのはアリストテレス的な論理である。しかし統合失調症者の妄想に関する中村雄二郎の「述語的論理」という解釈は、心理療法の直面する様々な現象が、論理からの逸脱や崩壊として理解されるべきではなくて、むしろ別の論理として捉えられる可能性を示唆している。そこにこころの古層の論理が関係しているのである。
中沢新一は、科学が二頂対立によるアリストテレス的な論理によって成り立っているのに対して、神話の思考は二頂対立を用いつつも、異なる論理に基づいていることを指摘している(『対称性人類学』、講談社)。たとえば人間と山羊は区別されているはずであるのに、神話の中ではその区別が超えられ、「A(人間)は非A(山羊)ではない」という矛盾律がくつがえされる。(中略)
これは神話の中だけの前近代の世界における話であって、現代においては通用しない論理と思われるかもしれない。しかしそれはこころの古層として生きていて、心理療法の現実に現れてくる。….
(論考より)
われわれの現実、特に法的な現実を支配しているのはアリストテレス的な論理である。しかし統合失調症者の妄想に関する中村雄二郎の「述語的論理」という解釈は、心理療法の直面する様々な現象が、論理からの逸脱や崩壊として理解されるべきではなくて、むしろ別の論理として捉えられる可能性を示唆している。そこにこころの古層の論理が関係しているのである。
中沢新一は、科学が二頂対立によるアリストテレス的な論理によって成り立っているのに対して、神話の思考は二頂対立を用いつつも、異なる論理に基づいていることを指摘している(『対称性人類学』、講談社)。たとえば人間と山羊は区別されているはずであるのに、神話の中ではその区別が超えられ、「A(人間)は非A(山羊)ではない」という矛盾律がくつがえされる。(中略)
これは神話の中だけの前近代の世界における話であって、現代においては通用しない論理と思われるかもしれない。しかしそれはこころの古層として生きていて、心理療法の現実に現れてくる。….
(論考より)
出版社のページ(ここから『究』の講読が可能です)
https://www.minervashobo.co.jp/book/b351542.html
2018/02/16