第1回ブータン文化講座が開催されました
7月6日、こころの未来研究センターブータン学研究室が主催する「第1回ブータン文化講座」が稲盛財団記念館大会議室にて開催されました。講演者に本年6月までフランス国立科学研究センター(CNRS)で研究ディレクターを務められた今枝由郎先生を迎え、「仏教と戦争―第4代ブータン国王の場合―」という演題で講演いただきました。
▽開催日時:2012年7月6日(金)17:00-18:45
▽場所:稲盛財団記念館3階大会議室
▽講演プログラム
・主催者挨拶 吉川左紀子(こころの未来研究センター)
・17:05-18:05 今枝由郎(フランス国立科学研究センター, CNRS)
『仏教と戦争―第4代ブータン国王の場合―』
・18:10-18:45 座談会 コメンテーター 熊谷誠慈(京都女子大学)
今枝先生は、チベット・ブータン歴史文献学を専門領域とし、幅広い視点からチベット、ブータン研究に取り組んでおられます。大谷大学文学部を卒業後、1974年からフランス国立科学研究センター(CNRS)に勤務。81年から90年にかけて約10年間、ブータン王立図書館顧問として同国に赴任し、王立図書館の整備に尽力されました。87年にはパリ第七大学で文学博士号を修得し、カリフォルニア大学など国内外の大学で客員教授を歴任され、2012年6月にCNRSを退官されました。ブータンに関する著書も多く、最近では『ブータンに魅せられて』(岩波新書, 2008)『日本仏教から見たブータン仏教』(NHKブックス, 2005)などが話題となり、ブータン研究の第一人者として広く知られています。
国民総幸福を国の理念に掲げ、実際に人々の幸福度が高い国として世界的に注目を集めるブータン。こうした先進的な理念を国の政策に取り入れたのが、先代の王にあたる第4代ブータン国王ですが、実は数多くの政治的危機に直面した経験の持ち主でもあります。
第4代国王の治世時のほぼ全時期に渡ってブータンと関わりのあった今枝先生は、今回の講演で、国王が戦時危機を乗り切るために取った施策とその根底にある仏教思想について豊富なエピソードと共に語ってくださいました。
講演前半では、72年から80年代中頃にかけて起こったチベット人問題、続いて90年前半に起こったネパール難民問題など、第4代国王の統治中には様々な軍事問題が起こっていた歴史的事実の紹介がありました。
そして、一般に知られていない最近の出来事として、2003年にブータン南部地域に軍事拠点を設けたインド・アッサム分離派ゲリラ一掃のための軍事行動についての紹介があり、そこで第4代国王が兵士に対し強調した「ブータン軍の目的は戦争することではなく平和を保つ事である」との信念通り、あくまで不殺生を第一に掲げ、捕虜を自国の兵士同様に扱い、戦勝後も大きな式典を催さず、戦死した11名のブータン軍兵士と共に敵の死亡ゲリラ兵に対しても追悼の祈りを捧げたことなどを、国王周辺の人々の体験談や文献からの引用、今枝先生本人の調査で得た事実も交えて語られました。
こうして最小限の犠牲でゲリラ兵掃討に成功した軍事行動の背景には、ブータンの仏教国としての強い意識、厳格な不殺生の教えが根底に根付いているからだと今枝先生は考察し、第二次世界大戦時の日本との明らかな違いも指摘しました。
今枝先生は、現在注目されている国民総幸福の理念についても、ただ理論的に作られたものではなく、「その基盤にある最も重要な部分に仏教の教えがあり、国王はそれに最も忠実だったことがうかがえる」と強調し、講演を締めくくりました。
講演に続いて、コメンテーターの熊谷誠慈京都女子大学講師(こころの未来研究センター連携研究員)との対談がおこなわれました。
熊谷氏は講演の感想として、「昨年のブータン国王の来日を機に、ブータンに関する注目度が高まり様々な情報が溢れるなか、ブータンを周辺諸国との関係もふまえた広い視点で見つめたいと考えていました。今回の講演は、仏教と戦争というインパクトのあるテーマでしたが、ブータンが仏教国としてどのように歩んできたのか、今枝先生には広い視点から分析していただけたと感謝しています」と話しました。
対談では、会場の参加者から寄せられた質問が紹介され、「ブータン人にとっての幸福とはどのようなものか?」という問いに対し、今枝先生は「ブータンには“幸せ”という抽象概念を表す言葉がない。ただ、彼らの感覚の源泉として家族の存在があり、身近な人の絆が一番重要という意識が強い。また、驚くこととして祈りに費やす時間が長く平均で1日1時間は超えている。老人だけでなく若い人もよく祈り、祈りの内容も、願いを叶えるためというよりは、ひとりで自分を見つめる時間という要素が強い。祈らないと幸福になれないか、というとそういう意識はないようだが、それでも多くの人が毎日祈っている。今の日本にはないことだと思う」と語りました。
最後に、「西洋化が進むブータンはどう変わっていくか」というブータンの未来に対する問いには、「今後のブータンは変わるという見方をする人は多いが、違う側面もある。そのひとつは、お坊さんや尼さんの存在。ブータンには、僧侶や尼など、経済活動を一切しない人が50人に1人いると言われており、どの人にも親戚にはそういう人がいて、社会のなかで受け入れられている。こうした人たちは経済面では役に立たないが、精神的な支えや教えを周囲の人々に与えている。そのことが、ブータン人の幸福感や人生観、充実感に大きな影響を与えているのではないか。日本や他の社会のように、近代化による豊かさや、働くことで多くの収入を求めるといった方向と同じ道をたどるとは一概に言えないと思う」と、ブータン人特有の仏教文化に根ざした精神基盤について語りました。
会場となった稲盛財団記念館大会議室は、定員150名を超える参加者の方々で席が埋まり、最後までメモをとる人や、熱心に耳を傾ける人で熱気に包まれました。
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こころの未来研究センター ブータン学研究室では、今後もブータンの仏教思想を様々な角度から研究し、その成果を社会に発信して参ります。
2012/07/11