広井良典教授が第26回日本産業精神保健学会において特別講演を行いました
広井良典教授が、第26回日本産業精神保健学会において特別講演を行いました(東海大学高輪キャンパス、2019年8月30日)。
日本産業精神保健学会は、職場におけるメンタルヘルスに関係した多職種のスタッフや専門家・研究者が一堂に会し、働く者のメンタルヘルスの保持・増進を図ることを目的に1993年に設立された学会で、産業医、産業保健師、心理職、人事労務担当者、経営者、精神科医、病院看護師、行政保健師等多様な職種が参加しています。今大会は「コミュニティとメンタルヘルス:働く人の”Life”を支える連携と協働」を大会テーマとし、8月30-31日の2日間にわたって開催され、広井教授は第1日目に「人口減少社会とコミュニティの未来」と題する講演(特別講演1)を行いました。
●講演要旨『人口減少社会とコミュニティの未来 』●
日本の人口は2008年をピークに減少に転じ、本格的な人口減少社会に移行した。これは人口や経済が「拡大・成長」を続けるという、明治期以降一貫して続いた社会のありようからの根本的な変化であり、人々の意識や行動、働き方、関係性のあり方に今後大きな変容をもたらしていくことが予想される。
これまでの人口や経済の拡大・成長期とは、一言で言えば“集団で一本の急な坂道を登る”という時代だったが、人口減少社会においては、生き方や個人のライフコースも多様化し、ゆとりあるものになっていくことが期待される。しかし一方、各種の国際比較調査を見ると、現在の日本社会は先進諸国の中でもっとも「社会的孤立度」が高く、家族や集団を超えたつながりが希薄な社会になっていることが示されている。ここで浮上してくるのが「コミュニティ」というテーマである。
人間にとってコミュニティとはプラス・マイナスの両面をもつ両義的な存在であるだろう。それは人間の情緒的安定にとって不可欠の基盤をなすものである一方、近年“忖度”という言葉がしばしば話題になり、また日本社会における「空気」や集団への同調性ということが論じられてきたように、場合によってそれはしばしば“窮屈”で抑圧的なものにもなりうる側面をもっている。
戦後の日本社会とは、高度成長期を中心に“農村から都市への人口大移動”が進んだ社会であり、そこでは農村をベースとするコミュニティに代わって、「会社」と「核家族」という二者がコミュニティの両輪となり、一定の機能を果たしていた。しかし近年では会社は流動化し、また家族は多様化する中で、人々がよりどころとしうるコミュニティが見えにくくなっている。いわば“古い共同体が崩れ、新しいコミュニティができていない”という過渡期にあるのが現在の日本であり、こうした状況が、上記の「社会的孤立」という点の背景にあると思われる。
個人が個人としてしっかりと自立しながら、集団の枠を越えてつながっていけるような、「都市型コミュニティ」とも呼ぶべき関係性がいま求められているのではないか。
一方、「コミュニティ」とはある意味で“あいまい”で“定量化しにくい”存在であり、従来は様々な科学の領域で正面から扱われることが少なかったが、近年では、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)論、社会疫学(social epidemiology)、ソーシャル・ブレイン論等々、文理を横断する多領域において学問的探究の対象として関心を集めている。現代的な話題としてはインターネットなど“バーチャル”なコミュニティをめぐる諸課題があるとともに、コミュニティと地域、ケアとコミュニティ、コミュニティと情報・生命等々、コミュニティというテーマは様々な論点や学問領域がクロスする結節点のような性格をもっている。
以上のような関心を踏まえ、「そもそも人間にとってコミュニティとは何か」という基本的な問いも視野に入れながら、コミュニティをめぐる現代的な課題について幅広い観点から考えてみた。
*日本産業精神保健学会ホームページはこちら https://k-con.co.jp/omh26/index.html
2019/09/03