第4回 為末大 vs.下條信輔 対談セミナーを開催しました
2013年度に3回にわたって開催された、元オリンピック陸上競技選手の為末大氏(一般社団法人アスリートソサエティ 代表理事)と認知神経科学者の下條信輔教授(米国カリフォルニア工科大学教授/こころの未来研究センター特任教授)の「為末大 vs. 下條信輔対談セミナー」。3年越しとなりましたが、この度第4回、第5回の対談セミナーを開催いたしました。為末氏は、世界陸上選手権のハードル種目で2大会銅メダル、オリンピック3大会連続出場の経歴を持ち、現在はコメンテーターや指導者として活躍しながら、今年5月には『逃げる自由 〈諦める力2〉』(プレジデント社)を上梓するなど数多くの著書を出しています。下條信輔教授は、認知神経科学のトップランナーとして日米を往復しながら研究活動をおこなっており、著書に『サブリミナル・マインド』(中公新書)、『<意識>とは何だろうか』(講談社新書)などがあり、現在、朝日新聞DIGITAL「WEBRONZA」(ウェブロンザ)のレギュラー執筆者を務めています。
吉川左紀子センター長の挨拶より始まった3年ぶりの対談セミナーは、前回までの振り返りとともに、為末氏と下條教授の最近の興味関心からのスタートとなりました。まず初めに為末氏より、「限界」にまつわる様々な観点からのエピソードや考察を交えた問題提起がありました。「規範」と限界の話では、陸上選手のロジャー・バニスターの記録や、ディック・フォスベリーの背面跳びを例に、限界が無意識のうちに社会的な規範や常識の枠内に囚われてしまっているのではないかと分析。さらに、スポーツ業界では観客が多いと結果が出やすいと言われていることから、シドニー五輪のキャシー・フリーマンの400m走決勝の映像を実際に見ながら、「集団」での自分という存在にも着目し、観客に見守られながら自分が走っているのか、または何かに走らされているのか、社会と個人の関係について考察しました。問題提起の中でも特に興味深い視点として、物事を冷静に分析し、把握する「知性」がある選手ほど、想定内の成績に収まり、一方で何も考えずに無我夢中で没頭する選手ほど、時に思いがけない結果を出すような印象を話し、知性が限界に与える影響についての鋭い考察を述べました。「動き」については、為末氏自身のお子さんの成長を見ていく中で、発達初期の段階で動きのパターンがある程度決まり、それがのちのパフォーマンスに影響するのではないかと指摘しました。最後に「癇癪」と限界の話では、スポーツ選手の中には癇癪を起こしやすい人も多くいると話し、その突然の感情の表出が、最後にプレーでふりきれる、没頭できる力とつながっているのではないかという、独自の経験からの鋭い考えを披露しました。
為末氏の問題提起に対し、下條教授は認知心理学的観点から様々な実験やデータを持ってして、これらの問題により深く斬り込みます。パフォーマンス時の観客の有無に関しては、ザイアンスのゴキブリを用いたユニークな社会的促進の実験を見せ、実験環境(ゴキブリが走るコースの複雑さ)によって、観客がいる方がパフォーマンスにプラスに働く場合と、マイナスに働く場合があると話しました。加えて、近年再現されたサブリミナル広告の実験結果から、実験参加者の内的状態(もともと喉が乾いているかどうか)によって、外から受ける刺激(閾下でのコーラの映像)の効果が異なるという最新の知見も紹介しました。また人間の臨界期の話では、人間の脳は、能力を学習できる適切な時期があり、それ以降にいくら学習しても獲得することが難しいと言われていることから、広くは臨界期の社会的な経験自体(生育環境、親の期待値など)も含めて身体化される可能性があると示唆しました。対談を通して、為末氏、下條教授、そして会場を巻き込んで生み出されるダイナミックなアイデアの中を行き来することで、徐々に「こころと身体と社会性」というキーワードが浮かび上がった前半でした。
後半では京都大学の学生・教職員とのディスカッションを通して、前半の問題提起をさらに掘り下げました。「チームスポーツでは、他者のパフォーマンスが自分のパフォーマンスに影響することがあるが、なぜか」「目標を立てるときは、途方もなく高い目標を立てるべきか、達成できそうな目標を立て次々更新していくべきか」「一般的に知性は良いものと考えられているが、そのために自分のパフォーマンスが制限されてしまうという現象が衝撃的」など、会場からの興味深い質問を元に、今回の主要テーマの一つである「イップス」に迫ります。イップス(チョーク)とは、重度のプレッシャーなどの精神的な原因などによりスポーツの動きに支障をきたし、自分の思い通りのプレーができなくなる運動障害のことであり、選手生命を大きく左右する要因の一つです。為末氏は自身の競技経験から、「考え始めの谷」という言葉を用いて、感性でひたすらに走ってきた選手が、トレーニングの過程で自分がどのように動いているのか改めて考え始めた途端、突如そもそもどうやって動いていたのかわからなくなるという、いわゆる「イップスの入り口」に対する興味を語りました。
為末氏のイップスに対する発見や考察を受け、下條教授は認知神経心理学的知見から、イップスになりやすい人の特徴として「損失回避傾向」を挙げ、その傾向が高い人ほど、予想される報酬が高くなればなるほど、逆に運動によくない影響を与えてしまうと解説します。具体的には、金メダルが取れて当たり前という世の中の風潮の中に選手が置かれ、「金メダルが取れなかったらどうしよう」と思ってしまう人ほどイップスに陥りやすく、逆に「金メダルなんて取れなくて当たり前」というメンタリティの人ほど、意外にも良いパフォーマンスにつながりやすいという心理学知見を紹介しました。さらに話は発展し、自分で設定した「目標」とイップスの関係や、社会的な影響によるイップスと個人的な問題によるイップスの違い、さらにはイップスに対する認知セラピーの可能性やイップスの予防についても言及しました。
対談の終盤では、為末氏より引退してから立ち上げた会社での経験などから、全てを自分で完結させようとするアスリート特有の性質への気づきを述べ、また抱えている社員が認識している世界と為末氏自身が認識している世界の差に驚きつつも、人がどの段階で学びが止まっているかを理解し、どうしたらその状態から抜けることができるのかということが最近の大きな関心であると述べました。下條教授は、為末氏やアスリートの話は研究者とも通ずるところがあり、創造的な研究を行うためには論理的な分析能力だけでなく、自由な発想力が必要であり、知性と感覚のバランスが非常に大切であると話しました。対談から溢れる問題提起や興味関心は非常に多岐にわたり、翌日に控える第5回対談セミナーでの大きなテーマの一つ「創造性」について考える材料がたくさん散りばめられた対談イベントとなりました。
[DATA]
▽日時:2016年6月11日(土)
▽場所:文学部新館第3講義室
▽プログラム
第4回 為末大vs.下條信輔 対談セミナー「自分のこころは誰のもの?」
10:30~12:00 ①「限界をつくる・限界を超える」
13:00~14:30 ②「イップスの入り口」
為末大(元陸上競技選手一般社団法人アスリートソサエティ 代表理事)
下條信輔(米国カリフォルニア工科大学教授・こころの未来研究センター特任教授)
▽参加者数:61名
2016/04/01