「身殻と身柄―<ひと>をめぐって」河合俊雄教授が日本ユング心理学会第2回大会プレコングレスに登壇しました
■変化する「所有感」とこころの病が映し出すもの。
6月15日、京都大学時計台100周年記念ホールで開催された日本ユング心理学会第2回大会プレコングレスに、河合俊雄教授がパネリストとして登壇しました。
河合隼雄京大名誉教授の七回忌記念を冠した第2回大会のプレコングレスでは、河合名誉教授との共著書『臨床とことば』(朝日文庫)があり親交の深かった哲学者の鷲田清一大谷大学教授が、「身殻と身柄―<ひと>をめぐって」という演題で講演を行いました。
哲学者の視点から、社会をみつめ、人々と対話し、幅広いフィールドで批評活動を行っている鷲田教授は近年、現象学・身体論を通して医療、介護、教育の現場と哲学とをつなぐ「臨床哲学」にも取り組んでいます。講演では、近代西洋哲学における「所有」をめぐる考え方について、ロックの労働所有論からカント、ヘーゲルを経て、現代におけるガブリエル・マルセルまでの所有論の変遷と議論を紹介しながら、「人々に浸透した『自分を意のままにしてよい』という所有感が、『かけがえのない自分』としての脅迫観念にみちたアイデンティティの模索へと繋がり、現代人を閉じた方向へと至らしめている」と考察。90年代にベストセラーとなった村上龍の小説『ラブ&ポップ – トパーズ2』や、故・長井真里氏の「物のすりかわり体験」などにふれながら、現代社会における人々の所有感に揺らぎが生じ、変化を遂げている点を指摘しました。鷲田教授は、これからの新しい考え方として、「人の生身の身体と別の人格が行き来する、モノとしての身体の可能性も含めた『演劇的モデル』の可能性」について話し、「身体は固有のもの」という狭い考え方から移行すること、日本語の『身』という言葉が本来、”身殻”や”身柄”など、心と身体双方を意味する豊かな言葉であったことに言及しながら、新たな身体と所有への考え方の方向性を提示しました。
続いて行われたパネルディスカッションでは、河合俊雄教授と伊藤良子学習院大学教授がパネリストとして登壇。伊藤教授は、自閉症患者とのプレイセラピーの事例を紹介し、セラピーのなかで自己認識へのプロセスを経験していった自閉症児との歩みと鷲田教授の話を重ねながら、「人間は他者との出会いにおいて自分に出会う。しかしその結果、他者に同一化することで抜け落ちるものがあり、『見える身体』と『見えない身体』との二重性が生まれてくる」と考察。神経症や心身症にまつわる数々の具体的な症例を挙げながら、「夢や箱庭療法から、クライエントの無意識の声に耳を傾けている」と話すと共に、「私を超え、現実的な他者を超えることが『魂の水準』へと至り、より大きな他者へと繋がっていく道なのではないか」とコメントしました。
河合教授は、「80年代に多く見られた、欲しいものに対して『今すぐ手に入れなければ』と求めてしまう境界性人格障害が減っていくなど、所有に対する人々の『闘い』はすでに終わりを見せているのかもしれない。テクノロジーの世界でも、コンピュータソフトウエアのソースを世界で共有するなど、所有感の変化を感じる」と述べながら「区切られた近代のリアリティを乗り越えて、今の限界をどう超えるのか考えていくことが大きなテーマではないか」と提言しました。さらに話題は、ヘーゲルとマルセルの所有感の比較、共同注視、現代人のこころの病理から見られる自傷行為等に及び、会場からの岩宮恵子島根大学教授による「90年代の所有に関する心の病のその後として、解離の人に見られる身体や皮膚感覚への異常なこだわり、異性に対する際限のない求め方など、現代の問題だと感じる部分がある」というコメントを受け、「バイオロジカルな境界の薄らぎ」「自傷行為のその先」等について、ディスカッションが重ねられました。鷲田教授による「ファッション的に病を判断することの危険性」についての指摘に対し、河合教授は「時代を反映する典型的な病として発達障害などが語られがちだが、言説に踊らされて周囲や本人がそれと思い込むケースもある。そこを専門家が見極めていくことが必要」と応じました。
哲学者のまなざしからの様々な問題提起と、時代を反映した心の病についての一連のディスカッションを経て、多くの一般参加者を集めた公開シンポジウムは終了しました。河合教授はシンポジウムの司会進行を務めたほか、学会2日目に行われた事例研究発表に指定討論者として登壇しました。
□ 日本ユング心理学会(JAJP)のホームページ
http://www.jajp-jung.info/
2013/06/25