『ミネルヴァ通信「究」』に河合教授の連載第16回が掲載されました
ミネルヴァ書房の発行する月刊誌『ミネルヴァ通信「究」(きわめる)』12月号に河合俊雄教授の連載「こころの最前線と古層」が掲載されました。
今回のテーマは前回の「こころと共生」に続いて「個と共生」というテーマです。
今年9月に行われた「第1回京都こころ会議国際シンポジウム」での講演を例にあげながら、個別のものと集合的なものがどのように関連し合っているのかについて興味深い視点を示しています。
『遠野物語拾遺』にみられるように、山で道に迷った父親が子どもの名前をよんでいくと、家で熟睡している息子が驚いて目を覚ますといったようなつながり方は
前近代のものと考えることもできますが、意外にも最新の科学理論からしても理解可能なものであるといいます。
つまり、我々が生きている「自然」とは、個々が動いているようでありながら実は非常に共生的であることを示唆しているのかもしれません。
(解説:畑中千紘助教・上廣倫理財団寄付研究部門)
こころの最前線と古層(一六)「個と共生」河合俊雄
前回は、九月に開催された「第一回京都こころ会議国際シンポジウム」で扱われた「共生(symbiosis)」という概念について、共同体、自然、宇宙、さらにはあの世と、どこまでも同心円状に広がっていくようなこころの古層にあると考えられるもの、そして近代における個人や人間を中心とした考え方の限界と反省として生じてきているエコロジー的なものとの違いについてふれた。
今回は「個と共生」という切り口で考えてみたい。これは確かに西洋近代における個人の確立とそれによる共同体や自然との葛藤が生み出したテーマであるけれども、広井良典の講演は、人類史にとどまらず、生命史も共生と個体化の二つの方向の間のダイナミクスとして理解できることを示してくれていて興味深い。….
(論考より)
前回は、九月に開催された「第一回京都こころ会議国際シンポジウム」で扱われた「共生(symbiosis)」という概念について、共同体、自然、宇宙、さらにはあの世と、どこまでも同心円状に広がっていくようなこころの古層にあると考えられるもの、そして近代における個人や人間を中心とした考え方の限界と反省として生じてきているエコロジー的なものとの違いについてふれた。
今回は「個と共生」という切り口で考えてみたい。これは確かに西洋近代における個人の確立とそれによる共同体や自然との葛藤が生み出したテーマであるけれども、広井良典の講演は、人類史にとどまらず、生命史も共生と個体化の二つの方向の間のダイナミクスとして理解できることを示してくれていて興味深い。….
(論考より)
出版社のページ(ここから『究』の講読が可能です)
https://www.minervashobo.co.jp/book/b253540.html
2017/12/12