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第2回ブータン文化講座「イエズス会宣教師の見たブータン ―仏教とキリスト教―」が開催されました

poster.png 10月18日、こころの未来研究センター・ブータン学研究室主催「第2回ブータン文化講座『イエズス会宣教師の見たブータン ―仏教とキリスト教―』」が、稲盛財団記念館大会議室にて開催されました。
▽開催日時:2012年10月18日(木)17:00~18:30(16:30 開場)
▽開催場所:稲盛財団記念館3階大会議室
▽概要:
講演者:ツェリン・タシ(ブータン王立自然保護協会、RSPN)
通訳・解説 :今枝由郎(フランス国立科学研究センター、CNRS)
コメンテーター:熊谷誠慈(京都女子大学・京都大学)
▽参加総数:110名
 第2回ブータン文化講座は、ブータン王立自然保護協会(RSPN)で理事を務めるツェリン・タシ氏を迎え、「イエズス会宣教師の見たブータン ―仏教とキリスト教―」という演題でご講演いただきました。また、通訳および解説者として、第1回ブータン文化講座の講師である今枝由郎先生(フランス国立科学研究センター、CNRS)にもご登壇いただきました。
 ツェリン・タシ氏は1973年、ブータンのパロで生まれ、シェルブツェ大学を卒業後、インドのデリー大学と王立ブータン経営研究所(Royal Institute of Management)で修士号を取得し、現在はブータン王立自然保護協会で理事を務めておられます。ブータンの歴史、環境、文化など様々な分野において幅広い知識を持ち、『The Mysteries of Raven Crown』(単著, 2008)、『Symbols of Bhutan』(単著, 2011)、『Bold Bhutan Beckons』(共著, 2009)など多数の著書があります。
 講演では、1963年から95年までの32年間に渡り、ブータンの近代教育システムの構築に貢献したイエズス会の宣教師、ウィリアム・マッキー神父の半生について、神父の回想録などをもとに振り返りながら、異教徒からみた仏教国ブータンについて解説しました。マッキー神父は、キリストに 仕える宣教師でありながら、仏教国ブータンの人々の信仰心と祈りの実践に多大な影響を受け、ブータンで生涯を終えるまでの30余年、一人の改宗者も出さなかったということです。
 子供時代、インドのダージリンでイエズス会系のミッションスクールに8年間通った経験を持つツェリン・タシ氏は、講演の初めに「学校ではブータン人の生徒はすべて仏教徒で、授業をさぼるためにミサに通っていました」と語り、会場の笑いを誘いました。「学校ではキリスト教ならではの聖歌隊などの活動もありましたが、どれも楽しい思い出として残っています。マッキー神父もイエズス会の任命を受けて、教育機関での仕事を始めました」と、自身のキリスト教体験を振り返りながら、神父がアジアでの布教を開始した経緯について紹介しました。
 1946年、マッキー神父はインドのダージリンで布教活動を始めたものの、63年に国外退去を命じられました。その時、ブータン第3代国王が神父をブータンに招へいします。以来、ブータンで数々の学校設立に携わり、生徒たちと寝食を共にした神父は、仏教徒である彼らが熱心に祈る姿に強い感銘を受けました。神父は、「生徒たちの祈りは自らの深奥に入り込み、感覚や心のレベルよりも 深い、存在の本質的レベルにまで達している」と記し、自身も彼らにならい、瞑想や祈りを実践することで、「『父』『子』『精霊』という三位が体内で一体となり、神の実体を体験できるように なった」と書き残しているそうです。
 ツェリン・タシ氏は、マッキー神父がキリスト教徒の視点から、驚きと戸惑い、そして敬愛の心をもってブータン人をみつめていたことを、様々なエピソードから紹介しました。そして、ブータンの家々にある男女が抱き合う姿のヤプユム像が、二元性と合一性の実践と理解を促すものであり、 生活の隅々に信仰が息づいていること、結婚や誕生の通過儀礼はなく死に際しての宗教儀式が非常に細かいこと、神を至高の存在とするキリスト教と異なり「誰でも仏になれる」仏教思想がブータン人に根付いていることなど、マッキー神父がブータン人を「きわめて神に近い存在」と高く評価していたことを紹介しました。
 32年間のブータン滞在期間において、誰一人としてキリスト教への改宗者を出さず、ブータン人の仏教信仰と暮らしに寄り添いながら国の教育システム構築に貢献したマッキー神父。「神父の死 後もイエズス会からの宣教師の派遣はあったが、宗教に関して圧倒的な寛容さと包容力でブータン人と交わり続けたマッキー神父の存在は特別なものであり、死後17年経った今もなおブータン人から尊敬を受け、多くの人々の記憶に生き続けています」と、ツェリン・タシ氏は神父の功績を讃えて講演を締めくくりました。
 後半の質疑応答では、質問用紙に記載された参加者からの質問や意見に対して、ツェリン・タシ氏が回答し、今枝先生が解説する形で行なわれました。「ブータンの仏教徒はキリスト教をどのように理解しているのか」という質問に対しては、「まず、 ブータンには”宗教”という言葉がない。そのかわりに”心を直す”、という意味の言葉があります。 そのことから分かるように、全ての思想、信仰に寛容であるといえます」との回答がありました。
「キリスト教を布教しなかったことで、イエズス会との確執はなかったのか?」という質問に対しては、今枝先生がマイクを取り、「(確執は)あったと思う。マッキー神父はひとりで東ブータンに滞在し、ブータン人とのみ接していた。80年代半ばになり、ブータン国王から国の最高栄誉となる賞を受けたことでイエズス会本部が彼の功績を認めた。そのときローマからブータンにやって来た女性記者が、神父への取材の感想として『私にはマッキー神父がキリスト教徒とは思えない』と語った出来事があります」と、ブータンに長く滞在した今枝先生ならではのエピソードを紹介しました。さらに、「マッキー神父はキリスト教徒としてはむしろ異端で、だからこそブータン人と心を通い合わせたのではないか」と述べました。
 また、「ブータンの学校にはいじめはあるか?」という質問には、ツェリン・タシ氏は「長い話を短く言えば」と前おきして、「70年代、国連からの来訪者が地方の学校の生徒に、”国のために死ねますか?”と質問したところ、挙手する者は誰もいなかった。しかしその後、”国王のために死ねるか?”と聞いたところ、全員が手を挙げた。ブータンはこれまで、小さい村ごとに文化を守ってきた。そのために植民地にならなかった」と回答しました。その答えの真意を伝える形で、今枝先生が次のように補足解説しました。「いじめは日本独特の問題であると思う。ツェリン・タシ氏の挙げた例については、ブータンは小さな村社会の集まりで、ひとつの国という概念が人々にはない。 国のためにと言われてもピンとこないが、国王のことは尊敬しており、村人同士の結束力は強い。 そんな”村社会”であるため、全員が相互依存の関係にあって、相手の足を引っ張り、それがいじめへと発展するということは生活の中でありえない。そういう状況なので、いじめということは彼(ツェリン・タシ氏)にはピンとこないのだろう」。
 最後に、司会進行を務めた熊谷准教授は、「今回の講演は、異なる宗教間の対話と 尊重について、おおいに示唆を与えてくれた。ブータン国民は、宗教を問わず互いを尊重し愛するという、自分以外の他者の文化、個性を認める気質がある。そんなブータンの仏教信仰に根ざした国民性について研究を進めることができれば、日本社会にも生かしていけると思う。今後もブータンについての研究を深め、その成果を皆さんと共有していきたい」と、締めくくりました。
 こころの未来研究センター ブータン学研究室では、今後もブータンの仏教思想を様々な角度から研究し、その成果を社会に発信して参ります。
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2012/10/30

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