広井教授のコラムが京都新聞2月16日付「現代のことば」欄に掲載されました
広井良典教授のエッセイが京都新聞2018年2月16日付の「現代のことば」欄に掲載されました。 タイトルは「生と死のグラデーション」で、認知症等の高齢者が増加する中、生と死というものが従来のように明確に峻別されるのではなく、生から死へのゆるやかな移行ともいうべき認識が生まれてきている状況を指摘しつつ、他方において、AIや情報技術等の高度化の中で”現実とは脳が見る(共同の)夢に過ぎない”といった世界観が浮上しており、これらが相まって「夢と現実」、「有と無」の境界線が揺らぎ、結果として”なつかしい未来”と呼びうる性格ももった新たな死生観が生まれつつあることを論じた内容となっています。
現代のことば 「生と死のグラデーション」 広井良典 京都大学こころの未来研究センター教授 私の実家(岡山)にいる母親は今年86歳になるが、何十年も続けてきた商店を2年ほど前に店じまいしたせいもあってか、しばらく前から現れていた認知症の症状が一層顕著になってきた。以前には、なかったことだが、10年以上前に亡くなった両親や、8年ほど前に亡くなった夫(つまり私の父)は今どこに行っているのか、なかなか帰ってこないではないか、といった趣旨のことを口にするようになった。 そのような母親の言葉を聞いていると、ある意味で半分〝夢の世界にいる″といった印象を受けることがある。そしてさらに言えば、「生」と「死」というのは通常思われているほど、明確に分かたれるものではなく、そこには、濃淡のグラデーションのようなものがあり、両者はある意味で連続的であって、母親はそうした(中間的な)状態にあるようにさえ思えることがある。(中略) それはやや理屈っぽく言えば、「生」と「死」を明確に区分し、「生=有、死=無」とした上で、死の側を視野の外に置いてきた近代的な見方に対し、生と死をひとつづきの連続的なものとしてとらえることで、いわば死をもう一度この世界の中に取り戻し、両者をつなげるという意味をも担うのではないか。‥‥ (2018年2月16日京都新聞 記事より)
2018/02/27