平成24年度こころを整えるフォーラム「観阿弥生誕680年世阿弥生誕650年記念―観阿弥と世阿弥の冒険―」が開催されました
2013年2月17日、京都府/京都大学こころの未来研究センター共同企画 平成24年度こころを整えるフォーラム「観阿弥生誕680年世阿弥生誕650年記念―観阿弥と世阿弥の冒険―」が、京都市中京区の大江能楽堂で開催されました。
▽開催日時:2013年2月17日(日)13:00~16:30(12:30受付開始)
▽開催場所:大江能楽堂
▽プログラム
・13:00~13:05 開会挨拶 吉川左紀子(京都大学こころの未来研究センター長)
・13:05〜13:15 趣旨説明 鎌田東二 (京都大学こころの未来研究センター教授・宗教哲学・民俗学)
・13:15~13:50 基調講演 「能の世界と苦悩の表現」観世清和(二十六世観世宗家)ナビゲーター:鎌田東二
・13:50~14:30 実演 舞囃子「敦盛」観世清和
・14:30~14:50 休憩
・14:50~15:30 講演「能の発生とその時代」松岡心平(東京大学大学院総合文化研究科教授・日本文学・演劇)
・15:30~16:30 鼎談「観阿弥生誕680年・世阿弥生誕650年記念 観阿弥と世阿弥の冒険:伝統と革新」観世清和+松岡心平+鎌田東二(司会)
■100年を超える歴史の大江能楽堂で観阿弥・世阿弥の世界を探る
こころの未来研究センターでは、京都府との共同企画で数々のシンポジウムを行なってきました。2013年は、100年の歴史を持つ大江能楽堂を会場とする初の試みで開催。観阿弥、世阿弥の流れを汲むシテ方五流の最大流派である観世流の二十六世観世宗家・観世清和師、能を中心とする日本の中世芸能・中世文学の研究者として活躍する東京大学大学教授の松岡心平氏を迎え、能の発生と起源伝承、観阿弥・世阿弥が生き抜いた時代、能の表現と創造性について、舞囃子の実演をまじえたダイナミックな内容で繰り広げられました。
本シンポジウムの企画・ナビゲーターを務めた鎌田東二教授は開催の挨拶文で下記のように趣旨を紹介しています。
そして今回、これらの共同企画の延長で、シンポジウム「観阿弥と世阿弥の冒険」を開催する運びとなりました。本年は、観阿弥(1333~1384)生誕680年にして、世阿弥(1363~1443)生誕650年となります。その節目の年に、南北朝時代の混乱期を生き抜き、日本芸能史に新しい「複式夢幻能」という形式を確立していく観阿弥と世阿弥という2人の独創的な芸能者・芸術家の創造性の秘密とその「ワザとこころ」を探ることを通して、現代という混乱期を生き抜いていく知恵と活力と勇気を得たいと考えました。
そこで、能(猿楽・申楽)という芸能が、源平の合戦を始めとする戦乱や生老病死や無常の世相を含め、どのように時代の「苦悩」を掬い上げ、表現しているかを、観世宗家・観世清和師と能研究の第一人者である松岡心平氏を迎えて探ってみたいと思います。
(開催趣旨全文はこちらからダウンロードできます)
前半の基調講演は、演題 「能の世界と苦悩の表現」で観世清和 二十六世観世宗家のお話で始まりました。ナビゲーター役の鎌田教授から「宗家にとっての観阿弥、世阿弥とは」という質問が投げられると、「昨今、観阿弥、世阿弥に関する様々な研究がなされ論文や書籍も出ているが、私にとって流祖・世阿弥はより身近な存在」と話し、代々観世家に伝わる世阿弥自筆の能本『第六花修』をいかに守り通してきたか、宗家ならではのエピソードを披露されました。
観阿弥と世阿弥の違いについては、世阿弥の室町幕府という北朝方の規範の中で能を確立したスタイルと、おおらかに表現した観阿弥との差異は明らかであるとし、観阿弥の代表作『自然居士』をにふれながら、両者の生きざまと時代性について臨場感たっぷりに話しました。また、世阿弥の生涯を振り返り、晩年の奈良への回帰を表す作品の数々や、佐渡に流された出来事の真偽について「流刑された」とする鎌田教授と小気味よく意見を闘わせるなど、エネルギッシュな宗家の語りに満員の会場のムードが高まりました。
また、観世家が代々守り通してきた『風姿花伝』の話を皮切りに、特別な演目とされる修羅能『朝長』を紹介し、死者の魂を鎮め供養する能の役割について触れ、実演する『敦盛』の見どころについて、「ワキである敦盛を討ち取った熊谷直実が出家をした姿で現れたり、前シテが木こりを演じるという珍しい演目であり、今日お見せする舞囃子では敦盛が合戦前夜の酒宴を想起して舞い、敵であった直実に対して今は許し共に成仏しようという優しい願いが感じられる、そのような部分を見ていただきたい」と紹介。講演後、宗家による舞囃子「敦盛」の実演がありました。
続いて、松岡心平 東京大学大学院総合文化研究科教授が「能の発生とその時代」という演題で講演を行ないました。13世紀とされる能の成立について、それ以前の11世紀からの「後戸猿楽」に源流があると提唱する松岡教授は、本年1月に出版された『能を読む(1) 翁と観阿弥 能の誕生』(角川学芸出版、2013/1/24)に所収された「翁芸の発生」を紹介し、猿楽から能へと至る流れについて、滑稽な時代を演じた「散楽・猿楽の時代」、修正会で寺院の後戸に詰めて乱声を担当した猿楽が「鬼」を演じて仮面を獲得したとする「後戸猿楽の時代」、仮面のパフォーマンスを確立した「翁猿楽の時代」、そして仮面演劇、複式夢幻能が成立した「能の時代」と、4つの区分をもとに当時の様子を生き生きと解説しました。さらに、今回のテーマである「能の苦悩の表現」について、「受苦、苦の瞬間『朝長』は、人間の苦をとてもリアルに描く、その源流として下衆猿楽の人たちが翁より以前に後戸猿楽で演じていた”鬼”につながるのではないか」と説明。壮大な歴史の中での能の位置付け、その起源について長年の研究成果からの深い考察と知見で聴衆を惹きつけました。なお、3月には前述の書籍第二弾『能を読む(2) 世阿弥 神と修羅と恋』が出版され、松岡教授は鬼と世阿弥についての稿を執筆しています。
その後、登壇者3人による鼎談の時間となり、松岡教授の講演から続く形で「鬼と能」をテーマにディスカッションが始まりました。鬼を生涯のテーマとし、先の講演で出た『朝長』の最期に先祖が立ち会ったという鎌田教授の話を受け、宗家はシンポジウムのポスター(右上の画像)に登場する赤鬼(しゃっき)、黒鬼(こっき)の能面を紹介しながら、これらが代々観世家の「怨念」を納めているという本面たんすに翁面と共に収められていると話し、観世家と鬼の強い関係について語りました。その話に対し、鎌田教授からは天河弁財天社における鬼の祭祀について、松岡教授からは前述の本面たんすに収められた能面の順序が、翁が最も上ではなく鬼が上だという話から「やはり能の発生源として翁猿楽よりも鬼が出る後戸猿楽があるのでは」と自説との関連についての考察が出て場が盛り上がりました。また、能面に続いては囃子で用いられる楽器についての話題へと移り、鎌田教授は、能管が雅楽の笛では出ないひしぎの音の独自性について、死者の魂を呼び鎮める古来からの石笛に繋がるものでは、という考えを示しました。そこから発展し、宗家による海外で囃子を聞いた外国人からの「かけ声」に対する驚きの反応や、役者として能に登場する囃子方とオーケストラとの違いなどを紹介、さらに能面の持つ役割や鬼の面、女性面をつける際の精神、肉体のあり方、『翁』『三番叟』などに通ずる宗教性など、興味深いエピソードの数々が語られ、終始、会場は熱気で溢れました。
シンポジウムの締めくくりとして、観世宗家は東日本大震災後における鎮魂供養のための活動に触れ、「天下太平、国土安穏だけではなく、やはりいま生かされている、あるいは亡くなられた方々に対する供養ということを忘れてはいけないと思い、演じている。さらには未来に向かって明るい日本、美しい日本のための祈りの心を持ち続け、脈々と伝わる伝統を守り引き継ぎながらも、多くの皆様に能を観ていただくための能を日々考えている。どうか、皆様にはお気軽に能楽堂へ足を運んでいただき、自由な雰囲気でお能に接していただきたい」と話し、会場は大きな拍手で包まれ、鎌田教授の結びの法螺貝をもって、シンポジウムは終了しました。
▽シンポジウムの様子
大江能楽堂のHPはこちら
2013/03/06