『ミネルヴァ通信「究」』に河合俊雄教授の連載第32回が掲載されました
ミネルヴァ書房の発行する月刊誌『ミネルヴァ通信「究」(きわめる)』2019年4月号に、河合俊雄教授の連載「こころの最前線と古層」が掲載されました。
今回のテーマは「病態水準と境界」です。
この数回の連載では精神病が取り上げられていますが、精神病と、通常の精神状態やいわゆる神経症との境界というものが、今回はテーマになっています。
筆者はまず、「精神病と正常の線引きというのはまさに近代の産物である」と述べています。前近代の世界では、正常と狂気の区別はあまり意味のあるものではなかったのに対し、近代では、病態の重さや自我の機能の仕方に焦点を当てた、様々な操作的で厳密な診断基準が作られ、またパーソナリティ障害や病態水準の考え方が出て来るなど、精神病理に関する秩序が作られていきました。前近代では、社会の中に受け入れる装置があって、それなりの場所をもっていたいわゆる狂気やこの世ならぬものが、近代において正常と峻別され、はじめて精神病と神経症・正常の境界が成立するようになったと著者は考えています。
しかし近年は、精神病でなくても妄想や幻覚が一時的に現れたりする事例など、妄想や幻覚があるから精神病の範疇に入ると言えない場合も多く、先述の病態水準という考え方が臨床的にあまり意味をもたなくなってきたのではないかと著者は指摘します。こうした「精神病との境界のあいまい化」について、著者は「近年における社会やこころの変化と無関係ではないであろう」と述べ、自己の中心性と一貫性をもつ近代意識の終焉に加え、ネット上でのフェイクニュースのような、真実と嘘の区別がなくなり始め、現実と非現実、現実と妄想の区別もなくなってきている状況が、その背景にあるのではないかと考えています。
(解説:粉川尚枝 特定研究員)
こころの最前線と古層(三二)「病態水準と境界」河合俊雄
ここ何回か精神病を取り上げているが、前回にうつ病を扱った際に、魂の喪失というこころの古層のモデルは、うつ病にも解離性障害にも適用可能であった。そうすると、解離性障害は精神病ではないので、精神病が通常の精神状態やいわゆる神経症から明瞭に区別されているかどうかに疑問が付されることになる。
精神病という言い方そのものが専門用語として消えつつあるけれども、精神病と神経症の区別が最初に大きく揺らいだのは、いわゆる境界例が登場したときである。…
(論考より)
出版社のページ(こちらから『究』の講読が可能です)
https://www.minervashobo.co.jp/book/b441052.html
2019/03/19