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鎌田教授の論文が『日本研究』16輯(発行:釜山大学)に掲載されました

 鎌田東二教授の論文「『人文学』と『日本研究』と和の思想」が、2015年11月、韓国・釜山大学の発行する『日本研究』16輯に掲載されました。
 論文は、I.「現代日本の文系学部や『人文学』 の危機的状況と三種の学問」、II.『日本書紀』に記された「和の国」 (和国)の原点」、III.「『古事記』における「和」の実現としての「国譲り」」、IV. おわりに:「人文学」と「日本研究」 の問題と可能性、という構成で、日本国内における人文学をめぐる現状を報告、解説し、『日本書記』や『古事記』に光をあてて日本の「和」の思想を紐解きながら「日本研究」の意味と可能性について考察。今後の人文学および学問全体のあり方について、問いかけと提言をおこなっています。


1511kamata_pusan.png「人文学」と「日本研究」と「和」の思想 ー 『日本研究』16輯(発行:釜山大学)


 それぞれの「国」には「建国」の歴史がある。その歴史はしかしよくわからない。確かに、遺された考古学的遺物や文献史料を通してある程度復元して後追いで歴史の再認識をすることができる。だがそれも、いつも資料的限定を受ける。「正しい歴史」というものは、「一つの見方」であり、それが説得的であるかどうかは、当事者の判断ともなり、歴的時間の淘汰にも委ねられる。
 「人文学」は哲学や宗教学を含め、そのような「判断」や「認識」そのものを吟味し、相対化·総体化し、反省する作用を果たす。それは学問全体にとって基礎的な認識作用となる。つまり、「人文学」はあらゆる学問の基礎部分を「修理固成」(『古事記』の中の言葉)する役目を果たしている。そして、その中で「日本研究」は少なくとも東アジアの安定や世界平和の基礎資料ないし基礎認識としての意味と意義と価値と可能性を持ちうると私は考えるものである。
 私は「日本研究」としては「神道」を中心に幅広く研究してきたが、「仏教」(仏法とも仏道とも呼ぶ。『日本書紀』には「仏法」と出る)に対比して、 『日本書紀』には「神道」として登場してくる。その呼び名の漢字が、先学が夙に指摘してきたように中国古典の『易経』や『晋書』に由来することも事実であるが、これを「神の道」とか「神ながらの道」と和訓を付けて意味付けしてきた「日本神道」のありようを研究することは、少なくとも東アジア全域の基層的 な宗教文化の研究に加えて、特殊日本的な風土や歴史や生活文化のありよう全般を考察することを促す。(中略)
 1995年、オウム真理教事件のあった年の1月17日に「阪神淡路大震災」が起きたが、震源地は淡路島の野島断層であった。この時、私は「淡道島」から起こった大震災を「日本を造り変えよ(新たな「修理固成」【古事記】をせよ)」というメッセージだと受け止めた。その年の3月20日、私の44歳の誕生日に 「地下鉄サリン事件」が起き、私の「日本研究」が次の段階に入った。
 「淡道島」は「つなぎ·のりしろ·媒介」の島である。顕幽をつなぎ、天地を 繋ぎ、東西南北をつなぎ、自然と文明社会をつなぐ、ありとあらゆる四方八方をつないでいくのが「淡道島」であるというのがわが「淡道島」論で、日本全体を世界をつなぐ「のりしろ」とできるか、日本を世界の淡道島にできるかどうかが 日本の未来にとって死活問題だと考えている。そしてその時、『日本書紀』の 中の「和」の思想や『古事記』の中の「国譲り」や「言語和平」のありようは、一つのモデルや示唆を与えるものとなると考えている。そのような方向で、今後も日本の「人文学」と「日本研究」の基礎部分をより確かで力強く創造的なものにしていきたい。


(「おわりに:『人文学』と『日本研究』 の問題と可能性」より)